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2009年7月31日 (金)

being stupid and being in love

"Were you in love with her?"
"I think that's what they call it." "I was stupid."
"Maybe being stupid and being in love are the same thing."

「彼女を愛していたのか?」
「そうだと思う」「私は愚かだった。」
「多分愚かであるということと愛するということは同じことなのだろう」

"The Soloist" の中のセリフです。「愛」のかわりに「恋」と訳した方がよいのかも知れませんが。

ある精神病患者とドクターの間で交わされる会話の一部です。愚かであることと愛することは同じことかもしれない。妙に心に残りました。

2009年7月30日 (木)

知らないということ

当たり前のことだけど、人は自分の知識と能力の範囲でしか判断ができません。

昨日映画「剱岳」を見た後、日本山岳会のメンバーがスーツ姿で登山しているのが私には謎でした。そして「西洋の技術や装備を使ったモダンな日本山岳会の登山と測量隊の昔ながらの登山を対照させるためにわざとあのように描いたのかもしれない」と自分なりの結論に達したのでした。

でも実は「衣装や装具は当時の山岳衣装のオリジナルを忠実に再現してる」ことが後からわかりました。

知らないということはこういうことなのです。あの映画を見て私と同じように何でスーツ姿で・・・と思った人もたくさんいたのではないかと思います。真実がわかった今でもあの姿ではさぞ大変だっただろうとは思います。考えてみれば測量隊の人達の衣装も足袋にわらぐつ姿ですから、あれでよく登れたものだと思います。だからなおさら当時の登山の困難さを改めて思わずにはいられません。

物事を正しく判断するには豊富な知識が必要なのだと改めて思いました。また時として「無知は罪悪」と思うことがあります。「知らなかった」ではすまされないことも世の中にはたくさんあるのです。

そこで本日の格言

"The more I learn the more I realize I do not know. The more I rearize I do not know the more I want to learn."

「学べば学ぶほど自分が何も知らないということがわかる。知らないということがわかればわかるほどもっと学びたくなる。」

"the +比較級, the + 比較級"の構文の例文でよくこのような文章に出会うことがあります。ちょっと的外れだったかしら?日々自分の無知を思い知る私です。

2009年7月29日 (水)

「剱岳 点の記」

映画「剱岳」を見てきました。大自然の荘厳さ、厳しさ、美しさ、そして前人未到の地を目指しひたむきに生きる男たちの姿にただ、ただ感動しました。でもこの感動を私のつたない言葉ではあらわすすべがありません。ぜひすべての人に見に行ってもらいたい壮大な作品だと思いました。

これは明治40年、陸軍の命令を受けて、日本地図を完成させるべく、立山連峰にある標高2999mの剱岳山頂を目指す男たちの物語です。剱岳は前人未踏の地で克服できない最後の空白点だったのです。そこに三角点を設置して測量を行ない地図を完成させるというのが彼らの使命でした。

よくぞこんな険しく厳しい山の中で撮影ができたものだと思いました。「自然の美しさは厳しさの中にある」と映画の中で主人公が言うのですが、まさに撮影も危険と隣り合わせのものだったのではないかと思います。さらに今のような登山用具も装備もない時代に実際に山頂を目指した測量隊の人々や案内人の人々はまさに命がけだったでしょう。そのすさまじさは想像を絶するものがあると思います。

挑戦することのすばらしさ、人の心の絆のすばらしさ、ひたむきに何かを成し遂げようとする人々の姿は人の心に深い感動を与えます。「誰も行かなければ道はできない」と案内人に扮した香川照之が言います。この人たちのお陰で道が開けたのです。またこの山を愛し山を敬い黙々と任務を遂行する案内人が実に良かった。その姿に私は惚れました。

ただ、一つだけずっと気になったこと。設立間もない日本山岳会が、この測量隊と初登頂を競うのですが、山岳会のリーダー役の仲村トオルは剱岳登山にスーツ姿、コートの前ボタンを開けたままというのが全く不可解でした。

でも、そのなぞは「まえつるぎの会仲間たちのFさん」 から次のようなコメントをいただき解けました。

「・・・日本山岳会は明治38年に発足したのですが、当時の上流階級の人々や、貴族階級の人々が中心になって発足しています。今では誰しも気楽に楽しめる登山は、当時は完全に金持ちのステータスとしての登山でした。映画劇中の台詞で「劔岳に登るのは、あまりにも危険な遊びだと思います」とありますが、世間はそのように彼らを見ていたのでしょう。調べてみるとわかるのですが衣装や装具は当時の山岳衣装のオリジナルを忠実に再現しています。現在に比べて当時の登山の困難さはそんなところに見受けられますが、登山者のステータス、フアッションアイテムとしてかなり高価なものだったと思われます。・・・」

知らなかったです。「仲間たち」のみなさんのお陰ですばらしい映画ができました。「仲間たち」の意味は映画館で映画を見ればわかるのでぜひ映画館に足を運んでみてください。(「まえつるぎの会」というのは撮影終了後製作スタッフが立ち上げた応援ブログだそうです。)

映画の中で立山から富士山が見えたのにも驚きました。日本海側から富士山が見えるとは!!

また最後に登頂した後、実は1000年も前に修験者が登っていたという痕跡を見つける場面があり、あっと驚く結末でした。1000年前のその修験者は生きて下山することができたのでしょうか。

2009年7月28日 (火)

come & go

"come" と "go" は日本語ではそれぞれ「来る」「行く」と訳していますが、実際は逆になる場合があります。

基本的に話している相手の所に近づいていくのが "come" なので、日本語で「行く」と言う場合にも "come" を使うことがあります。たとえば「これからそちらに行きます」と言いたい時は "I will go to your place." ではなく "I'll come to your place."と言わなくてはなりません。

これが日本人には結構ややこしかったりするのですが、逆も真なりで、英語を母国語にする人たちには同じように日本語の「行く」「来る」はややこしいのだと思います。(今何気なく書きましたが、日本語と英語では「行く」と「来る」の並べ方の順番は逆になるのが自然に聞こえます。)

柏崎花火大会の日、アメリカ人の友達であるRさんは、午後一番の電車で柏崎に行き、柏崎の仲間たちと共に場所を確保すると言い、私は友達と一緒にそこに便乗させてもらえるということになっていました。

ざあざあぶりの雨に、場所取りはどうなったかと思いながら、花火会場入り口付近に着きました。そこで早速電話をしたところ、雨が降っているので花火を見るのは止めたと言うではないですか。柏崎の友達の所で雨の様子をずっとみんなで伺っていたようです。日本語で「来ないの?」と聞いたところ「はい、来ないです。」さらに、「結局場所取りにも来てないの?」と言うと「はい、来なかった。」

日本人なら「行かない」「行かなかった」と言うところなので、一瞬頭が混乱しました。

ちなみに、Rさんはもう8年ほど日本に住んでいて日本語も大変上手いので、その時々で会話は英語だったり日本語だったりします。私としては少しでも多く英語で話したいところですが、日本語が堪能な人に英語で話しかけるのは失礼な気がします。時と場合により臨機応変に使い分けていくのがベストと考えています。

2009年7月27日 (月)

柏崎は雨のち晴れ

Hanabiame Hanabi100 Panda

7月26日は毎年柏崎花火大会の日です。

三条から柏崎に向けて出発する時からすでに怪しげな空模様。天気予報では降水確率50パーセント。でも柏崎の花火は、雨が降ろうと槍が降ろうと中止はまずないのです。以前、暴風雨の中で打ち上げが決行されたことがあり、その時は雨合羽、雨ズボン、長靴に傘で身を固め、花火見物に行くとは到底信じられないようないでたちで出かけて行きました。その時はさすがに、寒くて冷たくてこんな酔狂なことは二度としないぞと心に固く決めて帰路に着いたのでした。

ところが昨日も柏崎へ走る車の中から見ると空は真っ黒。途中から半端じゃない程のざあざあぶりになってきました。今年は断念するべきかと思いつつも、「そのうち晴れるかもしれない、とにかくここまできのだから行ってみよう」と柏崎入りしました。

会場に着くと、今度は「打ち上げ開始時刻までに晴れるかも知れない」と思い、とりあえず小ぶりになったところで場所を確保。雨のせいか時間が早かったせいか(開始時刻2時間半前に到着)、いつになく良い場所が取れました。傘をさし、余分に持っていたビニールシートを身体に掛け丸まっていると、雨も防げるしぽかぽかしてまるでコタツにでも入っているかのよう。

雨は降ったりやんだりを繰り返していましたが、開始時刻の7時半頃にはついに人々の祈りが天に届いたのでしょうか。すっかり雨があがり、海を舞台に感動のドラマが始まりました!!アナウンス嬢の歌うようなかわいらしい声が響きます。「会場左手から打ち上げ開始です!」

最初の写真は、花火開始直前7時20分頃の写真。まだ雨が降っている中、傘や雨具を身にまといひたすら晴れるのを待つ人々。まだ無人のビニールシートの上は水溜りとなっています。この様子、全く狂気の沙汰としか思えません。

2枚目は「尺玉100発一斉打ち上げ」がまさに打ち上げられた瞬間。もはや名物になりましたが、初めて見たときは呆然としました。柏崎はすごいことをやります。他に「尺玉300発連発」「三尺玉二発同時打上」は圧巻です。この不況で花火大会が中止になっているところが日本中いくつもあるのに何とも贅沢な花火三昧!!

3枚目はかわいいパンダの花火。

花火の美しさダイナミックさは小さなデジカメではとらえられません。また実際にはもっときれいで盛大な写真もあるのですが、毎年同じような画像ではつまらないので、雰囲気だけを載せてみました。

柏崎の花火は海をバックに、会場左、中央、右手と場所を変えて何台もある発射台から次々と打ち上げられます。海中花火というのはどうやって打ち上げられるのでしょうね。私には今もって謎です。

さて私が柏崎花火で楽しみにしているものの一つは、名アナウンス。これについては以前に述べたことがありますが、今回も笑うような歌うようなかわいらしい声で会場を盛り上げていました。私のいた場所はスピーカーがあまり良くなかったのか音が響きすぎて名コメントがしっかり聞き取れなかったのが心残りです。

1つだけはっきり聞き取れたもの。8:00ちょうどに打ち上げられた「ベスビアス大海中空スターマイン」の開始時のアナウンスは「8時だよ、全員集合!」でした。会場がどっと沸き、5箇所のポイントからいっせいに花火が夜空に炸裂したのでした。

2009年7月23日 (木)

けがの功名

Pizza2 Pizza

先日ホームベーカリーでパンをを作ろうとして、手順を間違えたことに途中で気づきました。せっかくの材料を何とか救済すべく、急きょ途中からピザ・コースに変更しました。

4月にホームベーカリーを買ってからひたすらパンを作り続けているのですが、ピザはまだ試していませんでした。けがの功名とでも言いましょうか、今回このアクシデントで作ったピザ、これがおいしかったのです。と言うわけで今日はレシピ通りにピザ生地を作り、ピザを焼いてみました。

生地を作るところまでホームベーカリーがやってくれるので、切り分けて丸めて寝かすという部分は手作業になりますが、それも10分から20分。面倒な部分は機械にお任せなので簡単に出来ます。生地は薄めでパリパリしたピザが好きなので、できた生地を薄く延ばし、先日作ったピザソースを厚めにのせ、冷蔵庫にあるものを適当にトッピング・・・スライスした玉ねぎ、ピーマン、とうもろこし、ウインナ、トマト(トマトを焼くとすごくおいしい)、最後にシュレッダーチーズをのせたらオーブンに入れ待つこと15分、はい、出来上がりheart

やっぱり、ピザはオーブンから出てきたばかりのアツアツのパリパリにかぎります!!ホームベーカリーを持っているけどピザは試したことがないという人がいたら、ぜひお試し下さい。

翌日、残った生地で玉ねぎ、コーン、軽くゆでたジャガイモ、ツナ、マヨネーズをのせて焼いたらさらにおいしかったです。

2009年7月22日 (水)

見えた!!

1109 1120 1554

今日は朝からテレビでは皆既日食の中継が行なわれて、大騒ぎ。奄美大島や屋久島などで皆既日食に入ると辺りは真っ暗になり宇宙の不思議さ神秘さを感じました。今のような知識がなかった頃、人々はこの不思議な現象をきっと神のなせる業とどんなにか恐れおののいたことだろうと遠い昔に思いを馳せました。

ここ新潟県三条市は朝からどんよりとした空模様。部分日食が見えるのはここでは11時過ぎくらいだろうと、家の窓から曇り空を見上げたところ、何と雲のフィルターを通して太陽がはっきり見えたではありませんか。

たまたま家に来ていた娘と息子を呼び三人で大フィーバー。「そうだ、写真だ」とそれぞれ自分のデジカメを持って来てパチパチ写真を撮りまくりました。太陽は肉眼では勿論、サングラスでも目をやられるから直に見てはいけないと警告されていました。日食グラスで見るか、テレカの穴を利用して投影させてみるのが良いなどとテレビでは言っていましたが、曇り空が効を奏し肉眼でしっかりと見えてしまいました。

テレビでレポーターが言っていました。皆既日食が起きると動物は行動に異変がおき、人間は「我を忘れる」などと言っていましたが、我が家の三人も我を忘れそうな勢いでありました。

やがて雲が全部なくなって完全に太陽が出てくるとまぶしくてもう見られませんでした。直視するなと言われなくても直視は実際無理な話です。でも一瞬ピカーっと光る太陽をまともに見ちゃったんだけど私の目、無事なんでしょうか。何だか今もくらくらする気がするんですけど。「みみほら」ならぬ「めほらの主」が軽い脳震盪を起こしているんじゃないかしら。

子供の頃みんなでガラスを黒く塗って日食を観察したのを覚えていますが、あれでみんな目は大丈夫だったんでしょうか。

今日来た小・中・高生の生徒さん達に聞くと、ほとんどみんな学校の授業中や休み時間に「見た」とのこと。

さて、1枚目の写真は望遠を使わず11時10分に我が家から撮影。2枚目は望遠を使って11時20分に撮ったものです。3枚目は12時16分撮影で月が通り過ぎて行く様子が時間差で分かります。

2009年7月21日 (火)

和太鼓

Mimihora

昨日、海の日に和太鼓のコンサートに行ってまいりました。今回はコンサートのお手伝いをするということで、入場無料にしていただきました。お手伝いと言っても私は受付でパンフとプログラムを配るという簡単な役で最後に会場の後片付けもありましたが、たくさんお手伝いの方たちがいたのであっという間に終わり、何だか申し訳ない気分でした。

「みみほら」という男女二人(翠敬さんとてんさん)からなる邦楽ユニットに民謡歌手のゲストが加わったコンサートでした。各種和太鼓のみならず、ピアノ、篠笛、尺八などの演奏もありバラエティに富んだ楽しい舞台でしたが、やはり何といっても和太鼓のものすごい迫力には圧倒されました。和太鼓というのは激しい運動のように体力勝負の楽器なんですね。打っている姿もかっこ良く見入ってしまいます。一曲ごとに汗がほとばしります。

このユニットの名前「みみほら」は、「みみほらの主」から来たものだそうです。「みみほら(耳洞)」というのは耳の穴のことであり、いつまでも耳の奥に残る、心の奥に残る音楽を演奏したいという願いを込めてつけられた名前だそうです。耳の奥にはみみほら(耳洞)の主がいるらしいです。

「みみほら」のパワフルな演奏は私の耳洞の主に届き、今も耳の奥で響いています。

2009年7月18日 (土)

役柄を演じる

日曜日のバラエティ番組のゲストとして関根恵子さんが出ていました。テレビで見るのは何だかすごく久しぶりで、珍しいなと思いつつ掃除しながらちらちらと画面を覗き見していました。今も変わらず素敵な方だと思いました。素顔の関根恵子は実はかなりの「天然」ぶりで、意外と気さくで飾らない性格のような印象でした。

「むずかしい人」というのが彼女に対する一般的なイメージらしいですが、全く正反対の気さくな方に思われました。昔はこういうバラエティとかトークショーのようなものはなく、女優やタレントは一般人とは人種が違うというか、雲の上の人、なぞのベールに包んでおくべきものだったのでしょう。今はむしろ人間らしさを出していくという、逆の傾向があります。

印象に残っている話の一つがこれです。家事をやるのがいやになった時に「そうだ、自分がやらなきゃいいんだ、役柄で誰か他の人になってその人にやってもらえばいいんだ」と思いつき、お手伝いさんの役柄・・・それも何故かちょっとばかり東北なまりのお手伝いさん・・・を演じることにしたと言うのです。それも結構気合が入っていて、玄関から家に入ってくるところからはじめるのです。

玄関先で娘が出てくると「これはこれはお嬢様でごぜえますか。今日は一日お手伝いにやってまいりましただ・・・」(正確には覚えてないけど、こんな感じ)などと言って家に入り、「なりきり」で家事をこなしたと言うのです。いきなり玄関先でこれをやられた日には娘もさぞびっくりだろうけど、そこは女優の娘でもあり、適当に調子を合わせてくれたそうです。彼女はこの方法で家事をこなしてきた時期があったということです。お手伝いさんキャラのままで、電話に出たら相手はご主人だったということもあったとか。

さすが女優ならではとは思ったけど、ここまですっとぼけたことをする人も珍しいでしょう。

でも、多少話はずれるかもしれないけど、人はみなある意味、何らかの役柄を演じて生きていると思います。その名前、立場、職業、地位等を背負って生きていて、周囲の期待に知らず知らずに応えようとしたり、周囲の作るイメージを演じたりしているように思います。置かれた立場や役柄によって作られていく部分も大きいと思います。(昔、公務員は後姿を見ただけで公務員と分かるというようなことを聞いたたことがあります。)そうしているうちにそれが自分のものとなる。人格の一部となる。

以前ブログにも書いた"Little Princess"の主人公セーラは、どんな境遇にあろうとも、常に「プリンセス」のように振舞おうと決め、それにふさわしい行いと誇りと気高さを持ち続けました。

自分の理想の姿を思い描き、「ふり」をしたりその役柄を「演じる」ことは理想の自分に近づく第一歩だろうと思います。関根恵子の話がちょっと脱線したかな?

2009年7月17日 (金)

"The Soloist"

"The Soloist" by Steve Lopez
出版社 Berkley
300ページ

最近読み始めたペーパーバックです。実はまだ300ページ中63ページ辺りをうろついています。

前に何度も触れている"The Diance Rehm Show Podcast"という番組で、この本の著者のインタビューと本の紹介があり、大変興味を持ちました。放送を聞いたのは今年3月で、聞いた後すぐ調べてアマゾンで注文しましたが、しばらく「積読」になっていました。我が家には積読状態の本がごろごろしています。興味を持つといずれ読みたいと思って買っておくからです。

この本は読みやすそうに見えて、意外と難しい単語がオンパレードでいつになく辞書を引きまくっています。作家によって好んで使う語や書き方の癖もあるので、読み進むうちに慣れて楽になることを期待しながら読んでいます。

物語はこのように始まります。

ロサンゼルス・タイムズ(新聞)のコラムニストであるスチーヴ・ロペスが路上で、ぼろをまといおんぼろのバイオリンで陶酔しきってベートーベンを弾いているホームレスの男に遭遇する。スチーヴは音楽家ではないが、男の奏でる音楽は素人のものではないことが分かった。しかもよく見ればそのバイオリンは弦がたった2本しかない。お金のために弾いている様子も全くない。男の名はNathaniel。やがて彼はかつてはジュリアード音楽院の学生だったとわかる。(ジュリアードと言えばアメリカの名門音楽学校)。「また来る」と言い残して、二度目にスチーヴがこの場所に戻ってきた時に、Nathaniel はそこにいなかった・・・

これがイントロ部分です。この物語は実話です。実話にはパワーがあります。読みながら圧倒されます。スチーヴが新聞に書いた路上の音楽家についてのコラムは大変な反響を呼び、ここから二人の運命は大きく変わっていきます。この本も全米で大きな反響を呼びすでに映画化されているようです。

私が番組を聴いたときはペーパーバックが出版されたばかりの時だったので、映画化は大変スピィーディーだったと思います。(ハードカバーではもっと前に出版されていたのでしょうけど。)Nathaniel のこの物語がいかに人々に感銘を与えたかがこのことによっても伺われるのではないでしょうか

読書の中間報告でした。

2009年7月16日 (木)

comic literacy

前に「ガラスの仮面」という少女漫画のことを書きました。

先週ある人に第1巻をお貸ししました。その人は漫画と言えば「サザエさん」かそれに類するものしか読んだことがないと言うのですが、「michiko さんがそんなに絶賛する作品なら読まなければ」と言って持ち帰り、すでに1週間が過ぎました。今日、「どう、読んだ?」と聞くと、「まだ途中まで」との返事。1週間でまだ途中ですって??

彼女曰く、読む順序が分からない。4コマ漫画の類しか読んだことがないので、慣れていない。縦に行けばいいのか、左右どっちから読めばいいのか分からない。

漫画を読むにも経験が要るとは知りませんでした。私だってそんなに読む人じゃないんですけどね・・念のため。

「読み書きができること」「識字能力」のことを 英語で "literacy"(リテラシー) と言います。最近ではこの言葉を他の語とくっつけて、何かの能力をあらわすようになりました。中でも "computer literacy" (コンピュータ・リテラシー)というのは「コンピュータ操作能力」とか「コンピュータに習熟している」ということを指してよく使われるようになりました。その反対は "illiteracy" (イリテラシー)と言います。

そこで思わず作ってしまいました。 "comic literacy" というのを。日本語にすると「漫画読解能力」。辞書に載らないかしら、これ?

また彼女が言うには、主人公の女の子は「平凡で一見どこといってとりえのない少女」という設定であるにもかかわらず、目もぱっちりでかわいらしく、スタイルだって抜群にいい。これのどこが平凡なの?」

確かにその通り。でも漫画だし、主人公がブサイクに描かれていたら読者は読む気が失せるでしょう。前に赤毛のアンが映画化された時に主人公の女の子を見て、「そばかすだらけでやっせぽちでみっともない女の子のはずなのにかわいすぎる」と思ったことがあります。でも本に描写どおりの主人公が出てきたら興ざめでしょうね。

そんなわけで、後世に残る傑作と私が絶賛する「ガラスの仮面」も今回は形無しでありました。

2009年7月15日 (水)

顔文字 :-) 

「インターネットの出現により読み書きの習慣が大きく変化してきた」と言う昨日の話の続編です。

「実践ビジネス英語」の今回のストーリーではさらに、メールでメッセージを書く際の、ネット特有の略語や顔文字の使用、また文の始めに大文字を使わないこと等も話題となっていました。(英語での話ですが、日本語も同様です。)

顔文字や絵文字(絵文字は日本特有のものらしい)は以前は私も抵抗があり、また面倒ということもあって使わないようにしていました。今でも多用はしないようにしていますが、文字だけではそっけない印象を与えるメッセージでも「笑顔」をあらわす顔文字やハートマークが入っているとソフトで親しみ易くなることは確かです。前に「笑う社長」で書いた「叱るときに笑う」に似た効果があると思います。

話し言葉には表情やイントネーションがあるので気持ちが伝わりやすいのですが、書かれた言葉にはそれがありません。特に携帯メールのような短いメッセージの中では顔文字や絵文字は簡単に気持ちを伝える有効な手段だと思います。(かと言って、手放しで賛成しているわけではありません。)

日本と英語圏では顔文字の使い方が違っているということもこのテキストの中で紹介されています。私の手元にある中学の英語の教科書(TOTAL ENGLISH 3)の中にも顔文字の日英の違いが紹介され、顔文字を使ったメールが堂々と掲載されています。たとえば英語では笑顔と泣き顔はこうなります。

笑顔    :-) 
泣き顔   :'-(

顔を90度左に向けて見ると納得します。どうして横向きに読まなくちゃいけないのか不思議ですが、とにかくこうなのです。ハイフン(ー)はどうやら鼻をあらわしているようです。英語では 顔文字は"emoticon"(エモティコン) と呼ばれていますが、 "emotion(感情)" と "icon (アイコン)"をくっつけた造語です。私は1年か2年前にある記事の中で初めてこの言葉が使われているのを見ました。

英語では「文の最初の文字は大文字で書くこと」「私を表す "I" は常に大文字で書くこと」というのは基本中の基本です。ところが以前メッセージののやり取りをしていた時に、大文字を使わず小文字ばかりで(しかも文法やスペースの間違いだらけの)文を書いて送ってくるアメリカ人がいました。もう赤ペンで全部添削して返却したい衝動に駆られました。しかしテキストによれば現代の若者たちは大文字を使わない傾向にあるのだそうです。将来、大文字は使われなくなるだろうと予言する人もいるそうです。

良かれ悪しかれ、言葉は時代とともに変わっていくものなのです。

2009年7月14日 (火)

紙の辞書の良いところ

私の英語サークルではNHKラジオ講座「実践ビジネス英語」のテキストを使っています。オフィスで社員同士が交わす会話の形式をとっています。(ビジネスと直接関係ない一般的な話が多いです。)英語はかなり難しくて大変なのですが、毎回話題がおもしろく発展性のあるものなので使い続けています。

今回のトピックは Reading in the Digital Age「デジタル時代に読む」でした。インターネットの出現により読み書きの習慣が大きく変化してきたことが話題となっています。社員の一人が、自分の娘がコンピュータに張り付いてばかりいて、学校の勉強について行けなくなってきて、読み書きの能力も低下していると心配しています。

インターネットに限らず新しいものが出現するときは必ず論議が起こります。インターネット以前はテレビ、その後はテレビゲーム。その都度大人たちは同様の心配をしました。

あるいは計算機や電子辞書。電子辞書が普及し始めた頃、学校の先生方は生徒の電子辞書を禁止していました。今でも紙の辞書でなければだめだとおっしゃる先生はいらっしゃると聞きました。

私はかなり早い時期から電子辞書を使っていて、周りの人たちにもずいぶんと勧めてきました。当時はかなり高価なものだったけど、それだけの値打ちはあると思っていました。サークルのメンバーに「紙の辞書が電子辞書より優れているのはどこなんだろう」と質問してみたところ、「覚えたらちぎって食べられる」と即座に答えが返ってきました。もしもし、まじめに答えてください。お腹こわすでしょう!!

でも確かに昔、辞書を食べるという話をよく聞きました。昔の人はそれくらい一生懸命に勉強したってことなんでしょうね。二度と見られないと思うと必死になって頭に入れようとする。気迫があります。でも本当に昔の人は辞書を食べたんでしょうか?

放送の中でアシスタントの松下クリスさんが言っていましたが、昔、書くことが普及し始めたとき人々は若い人達のものを覚える能力が低下するのではないかと心配したそうです。

将来、今日のインターネットと読み書き能力に関する論争も「昔はこんなことを人は心配したものだと」語る日が来るのでしょうか。

2009年7月13日 (月)

"listen to the fragrance"

Kodo

「香道」をご存知でしょうか。「香道」とは茶道、茶道と並ぶ室町時代にまでさかのぼる日本の三大芸道だそうですが、私には全くの初耳でした。

昨日、たまたまお誘いを受け、がらにもなく雅な世界を体験してきました。「香道」とは平たく言うと「ジャパニーズ・アロマテラピー」で、平安時代の最もトレンディな遊びだったそうでうです。しかしこれは貴族、それも上級クラスの宮廷人の遊びであり、ひそやかに受け継がれてきたものだそうです。NHK大河ドラマ「篤姫」の中でも「香道」を楽しむ場面が出てきたそうです。

前半は香道の歴史のレクチャー、途中抹茶と和菓子の休憩が入り、後半は香の練りあわせを実際にやりました。帰りに正露丸のように丸めたお香をお土産に頂きましたが、これは10日から2週間くらい乾燥させて、その後たいて楽しむのだそうです。置いておくだけでも良い香りがします。

今、ある家庭にホームステイしているアメリカ人がいるのですが、その人のステイ先(ホストファミリー)を探すにあたり仲介役をしたことがきっかけで今回このお誘いを受けました。ステイ先の方が主催する会だったのです。私はこの会の間、日本語から英語へと通訳をしていたのでおおわらわ。話は飛ぶわ、どんどん先行くわ、しっちゃか、めっちゃか。私も聞いたことのないようなことが次々と出てくるのですもの。(勿論若干の基礎知識はインターネットでゲットしてから行きました。)

香道では香を「嗅ぐ」と言う言葉は使わず、「聞く」というのだそうです。しぐさも香炉を顔の前に持ってきた後、顔を左に動かします。すると香炉は右耳の辺りに来るので、まさに「聞いている」感じがします。香をたいている時に香炉の中で香が滑って落ちて行く様を「香が走る」と言います。

香りを「聞く」を "listen to the fragrance"、香が「走る」を "run away"(実際逃げていく感じがするのです)または "run"という言葉に直訳し、「香道」ではこのように表現するのだと説明しながら言葉のおもしろさや風雅さを感じました。

最後に手のひらで丸めたので手に香りが残ります。人によって香りが違うので「あなたの香りを聞かせて」なあんて、会が終わる頃にはすっかりこの言い回しが板についてしまいました。

2009年7月12日 (日)

笑う社長

昨日のレモンをレモネードに変えるという話で、思い出したのが旅行会社HISの3代目平林社長のこと。以前テレビで紹介されていたのですが、彼が社長になってまず実行したのが社長室をなくすことだったそうです。社長の椅子もなし。社内のデスクを回り社員とじかにコミュニケーションを取る。だから物事の決定が早いのです。スピードと価格意識を重視する。アルバイトで入社、高卒のたたき上げだそうです。もう大分前の放送になりますが、実に社長らしくない社長でした。

そしていつも笑っているのです。つらい時こそ笑う。部下を叱る時にも笑いながら叱る。「これじゃだめだよ!!」と言いながら大きな声で本当に笑っているのです。怒りながら叱られると意欲が失せるけど、笑いながら叱られると人はほっとして救われる気分になり、やる気を引き出す効果がある。でも実際怒っている時に笑うなんて難しいことです。

ちなみにHISは私が海外旅行の時にはいつもお世話になっている会社です。(と言う程に旅行できませんが( ̄○ ̄;)!)HISの創始者は海外旅行の飛行機代が海外と比べ異常に高いことに疑問を感じ、格安チケットの販売を始めたことが始まりだったというのを十数年以上昔に何かで読みました。それ以来HISはどんどん成長して大きくなりました。何の役にも立ってないと思いますが、その記事を読んだ時から陰ながらこの会社の発展を祈ってきました。古い体制を壊して新しいものを作ろうとする気概を持つ人、不公平を正す人、正義を通す人、庶民の味方・・・と言うのが私のヒーローです。

2009年7月11日 (土)

人生がレモンをくれたら・・・

"If life gives you a lemon, make lemonade."(人生がレモンをくれたらレモネードを作れ)

最近のNHKラジオ「ビジネス英語入門」の中で聞いたことわざです。酸っぱくて役に立たないレモンをもらったら、レモネードにすればいい。つまり苦境にあってもそれを逆転させて前向きに生きなさいということです。レモンと言うのは英語では役に立たないものを意味しています。英辞朗には次のように書いてあります。「すぐ故障する機器、欠陥品、不良品、役立たずのもの、傷、欠陥車」・・・レモンも散々な言われようです(ρ_;)"

昨日の朝ある人と電話で話をしていました。「今日も会社ね、大変ね」と私が言うと「いや、近頃は休みが多くてね、ハハハ」「何だか楽しそうね」「いや楽しくはないよ~ハハハ、でも夏休みがあるし」

仕事が減り給料も大幅ダウンしていると言うのに、酸っぱいレモンからレモネードを作る人なんですね。

2009年7月10日 (金)

節約術

昨日久しぶりに一緒にランチを食べた友達と帰り道ドラッグストアに寄りました。某ブランドのラップが山積みになっていて本日の売り出し商品の一つらしく彼女はそれを手に取りました。確かに通常より大分安い。

でも、私はラップはコメリの自社ブランドのバリュースターのものしか買わないことに決めています。それもレギュラーサイズではなく22cm幅で50mのもの。ほとんどのお皿は22cmで足りる。そして普通は20mのところ50mもあるから最後に買ったのはいつか思い出せないくらい長持ちするのです。それも確か98円くらいでした(しかし勿論質は違う)。レギュラーサイズで50mでも110円か120円かそこらだったと思う。・・・と彼女に言うと持っていたラップを思わず取り落とす。営業妨害しちゃいました( ̄Д ̄;;

ラップに限らず自社ブランド商品つまりプライベートブランド(PB)の商品は流通経路を省いたりその他の工夫で安くなっているので、今では同じものを買うならPBを買うようにしています。ただ、ラップに関して言うと、本当は使わないに越したことはないというのもわかっています。陶器でも蓋付きでそのまま食卓に出せるものがあるのでいくつか買い揃えています。それがお財布にも環境にも優しいことなのです。

私のささやかな節約術でした。

2009年7月 9日 (木)

カレー三昧

Cocos

インド・パキスタン料理の「ナイル」でカレーを食べた翌日、ココスというレストランでカレーフェアをやっていて、夏野菜のココナッツカレーを食べました。これが実においしかったconfident ご飯は十穀米でサラダも付いてます。野菜とカレーの相性も良く、十穀米がまたおいしい。前日食べているのに、メニューを見たら食指が動きました。すっかりカレー漬けになってる私。

おまけに実は「ナイル」で食べた日、家に帰ってみると主人がカレーを作っているではありませんか。昔、子供が学校で給食のメニューがカレーだった日に夕食がカレーだったり、とんかつだった日にまたとんかつだったりしたことがあるのを思い出しました。でもカレーと一口に言っても全く別物、それぞれ全然別の料理です。(主人のは「二段熟カレー」をベースに何やら足してる様子。)

ココスは新潟にはすでに6店舗もあるようです。ちょっと普通のファミレスと違うところはドリンクバーのお茶はティーパックではなく、ティーポットにお茶っ葉を入れるところ。勿論種類もたくさん。ちょっとリッチな気分でお茶が飲めて、かなりいい感じです。。デザートも充実してるようだし、すっかりこのお店のファンになって帰ってきました。

2009年7月 8日 (水)

"something borrowed"

本を読むにしてもテレビを見るにしてもその背景となる文化を知らなければ、完全に理解するのは難しい。文化を知るということは物事を2倍にも3倍にも楽しめるようになるということです。以前、"something borrowed"というタイトルのペーパーバックを読んだことがあります。私のベッドサイドストーリーとして読んでいたもので英語が簡単で楽に読めるものでした。

ところがその時にはこのタイトルの意味は全然分かっていませんでした。もちろん文字通り「何か借りたもの」というのは分かりますが、それが何を意味するかはただ想像するだけでした。おそらくは「主人公が借り物ではなく自分の手でつかんだ幸せ」ということを意味しているのだろうと思っていました。

が、実は"something borrowed"という言葉はアメリカで結婚の時に花嫁が幸せになるために身に着けるものだったのです。アメリカ人なら誰もが知っているだろうことを私は知らなかった。(イギリスや他の英語圏ではどうなのかはわかりません。)

"Something old, something new, something borrowed, something blue."

というフレーズの一部だったのです。これを知ったのは私がポッドキャスト配信してもらっている「大杉正明のCross Cultural Semiar」という番組の2009年3月6日号の「第118回 結婚式の迷信について」の中ででした。

何か古いもの・・・たとえば自分の母親が着たウエディングドレスや宝石など。何か新しいもの・・・たとえばアクセサリーなど。何か借りたもの・・・番組で大杉正明先生のパートナーを務めるスーザンさんは姉から借りたイヤリングを実際に身につけたそうです。何か青いものはハンカチやガーターなどがポピュラーだそうですが、ガーター着けるんですか・・・と久々に聞いた言葉ににちょっとびっくり。大杉先生、番組中それを聞いてちょっとおたおたして心拍数が上がってました。ちなみにペーパーバックの上記タイトルの続編が "something blue" でしたが、これもこのフレーズの一部だったんですね。

知らなくても "something borrowed" を読む上で支障はなかったけど、文化的背景知識があるというのは何だか大きく違う。根本が違ってくるような気がします。こんなことってきっといっぱいあるんだろうなと思います。

「大杉正明のCross Cultural Seminar」はNHKラジオの「実践ビジネス英語」で金曜日に出演しているスーザン岩本さんがお相手を勤めています。英語が半分、日本語半分。英語が大変分かりやすく聞きやすく、1週間に1度、時間は10分前後で、毎回さまざまな側面から日米の文化の違いを話しあいます。私のお勧めのポッドキャストの1つです。

私は大杉先生の番組、NHKラジオ「ものしり英語塾」のリスナーでもあります。ゲストのおもしろい話が聞けるのが楽しみです。こちらは欠かさず聞いていますが、ラジオとポッドキャスト、欲張ってあまりにいっぱい登録しすぎて全部聞くのはもう到底不可能状態になっています(゚ー゚;

2009年7月 7日 (火)

インド・パキスタン料理&カフェ「ナイル」

Nile_2 Nile2_2 Nile3_2

新潟豊栄にあるこのレストランを目指してきたのに全然分からず通り過ぎてしまいました。何しろ「えっ、こんなのあり?」というプレハブの店で壁はピンクときていますから。「ええっ!」と思ったけど、この怪しげな外観が何だかインドらしくていい感じにも思えてきました。

中も昔の食堂のような感じで、インドのタペストリーやら何やらあちこちに貼り付けてある。見たところ店員さんは全部インド人の方らしく日本語もたどたどしい。そして出てきたカレーも本格的・・・と言ってもインドには行ったことがないのですけど。

ランチは4種類のカレーの中から1つ+ナンかライスかロティ+好きな飲み物を選びます。それにサラダが付きます。私はチキンカレーの中辛とナンとーをラッシーを注文。ロティというのは初めて聞く名前だったのでインド人の店員さんに聞いたら「ムギ」とたどたどしい返事。麦をどうにかしたものらしいとは分かったけど、それ以上情報が得られなさそうだったので止めましたが、次回は試してみたいです。

ナンは見ての通り超ビッグ、皿から大分はみ出しています。私はナンが大好きなんだけど、大きすぎて食べ切れません。帰りに持ち帰りたいと言うとキッチンに向かって「オモチカエリ!」とたどたしく言うのが聞こえました。ランチの値段は9百円台、1000円以下でした。

結構昔からあるレストランらしくお昼を大分過ぎていたけど、人も結構入っていました。デジカメを持って行くのを忘れて携帯のカメラで撮りました。

2009年7月 6日 (月)

聞き間違い2

"Rain Rain Go Away"というマザーグースをご存知でしょうか。

Rain, rain, go away;
Come again another day;
Little Jonny wants to play.
Rain, rain, go away

「雨、どっかに行っちまえ」という内容です。もっと長いバージョンもあるんですが、メロディーが付いていて歌いやすいので私の教室ではこれを採用しました。2行目の"Come again another day"の部分ですが、ある生徒さんが言うには何度聞いても「かまへん、あなたで」に聞こえるんだそうです。「何でそこだけ急に関西弁になるんじゃい!!」って感じですが、そう思って聞くと実際そう聞こえてきます。

昨年小学校6年生の1年間、私の教室で英語を一緒に勉強してきた生徒たち3人が今年揃って中1になりました(つまり今年の中1年生はこの3人だけと言うことになります)が、この子達には毎回驚かされます。「かまへん、あなたで」と聞こえるという生徒さんもそのうちの一人です。音感・リズム感がよく、記憶力も確かで耳で聞いたことを実によく覚えており、一度やった歌やチャンツなどはきっかけがあるといつでも3人揃って勝手に合唱が始まったりするのです。それほど何度もやっているわけではないので驚きです。ただ、耳で覚えてしまっているので書かせるとびっくりすることがあります。たとえば "How about you?" と書くべきところ "How a but you?" と書く。そう聞こえるんですね。言われてみれば確かにそう聞こえます。

先日NHKラジオ「実践ビジネス英語」で、クリス松下さんが "would have" と言うのが "would of" に聞こえ、アメリカの子供たちに書かせてみるとそう書いてしまうことが多く、先生はそれを直すのに苦労するというようなことを言っていました。

私は生徒に音だけではなく文字も見せてはいるんですが、あんまり気にしていないようです。学校のテストでそれを書かれるとアウトですが、ほとんど文字からだけ英語を勉強してきた世代の私は生徒たちの楽しい聞き間違いにほくそえんでいます。

同じ "Come again another day"の部分を別の学年のある生徒さんはずっと「鼻毛がのびて~」と聞こえていたと言うのでこれにもびっくりしました。

日本の歌でもよく聞くのは「ふるさと」という歌の「うさぎ追いしかの山~」を「うさぎ おいしい」だと思いこんでいた人の話。「赤とんぼ」の「おわれてみたのはいつの日か~」を「追っかけられてみた」と勘違いしている人の話とか。(もしかして勘違いしている人のために念のため書き添えておくと「おんぶされて見たのはいつの日か」という意味です。)いい間違い・聞き間違いは楽しいですね。

以前書いた聞き間違いについての話もこちらにあります。
「聞き間違い」
「あ、そう」

2009年7月 5日 (日)

ガラス文庫

「ガラスの仮面」(花とゆめCOMICS)という少女漫画の傑作をご存知でしょうか。すばらしい文学にも匹敵する超大作、後世に古典となって残る大傑作だと信じています。

一見平凡で、何のとりえもないと母親から言われ続けた少女「北島マヤ」が演技の才能を見出され演劇に情熱を傾けて生きる物語です。主人公の演技にかける情熱とひたむきさは見るもの読むものを捕らえて離しません。一見平凡でありながら、劇中の人となって生きる時、彼女は普段の平凡さからは想像もできないほど輝きます。普段の姿(ドジでおっちょこちょいで率直で飾らない地の姿)との落差がまた魅力でもあります。

誰もが持っている願望がそこにあるのでしょう。マヤの魅力と読む人の願望、そしてストーリー展開が相乗効果となって惹きつけられます。

私が「ガラスの仮面」に初めて出会ったのはもう30年程前のこと。歯医者さんの待合室に置かれあったのを見たのが初めてです。現在43巻まで出ているけれど途中から出版のスピードが超スローペースになり数年に1回しか出てこないので私は気が気ではありません。

作者の美内すずえは今一体何歳なのでしょう。このままでは未完のまま終わってしまうのではないかと気を揉んでいます。43巻のうち手元に持っていなかった巻が数冊あったのですが、最近買い足して完全な「ガラス文庫」が完成しました。昔、作家の林真理子さんがこの本が好きで全巻そろえていて、「ガラス文庫」と称し自慢(?)していたので、以来私も真似をして「私のガラス文庫」と自慢して呼んでいます。

演技や演劇界について美内すずえは裏も表も知り尽くしているように思えます。主人公は天才だけど、それを生み出す作者も天才だと思います。

何しろ43巻もあるんだから、読み始めたが最後1日1冊読んでも43日。再び読み返してもまた最初と同じようにのめりこみ、途中で止めることができません。

私の太鼓判付の傑作ではありますが、他の事が何もできなくなるという大変な作品です。読み始めるにはそれなりの覚悟が必要です。

2009年7月 4日 (土)

ホームベーカリー

4月にホームベーカリーを買ってからほぼ毎日パンを作っています。

長年買いたいと思いつつ、しかしそんなに使うだろうか、基本的にはご飯が大好きだし・・・などと思っていたのですが、ちょっとしたきっかけで思い切ってナショナルの1斤用を買いました。

初めてパンを焼いてみてそのおいしさに感動!!今ではどこのパン屋さんのパンよりも我が家のパンがおいしいと思っています。「パリッ、サクッ、フワッ」という食感。私はこれまでパンの耳というのが、どうもぼそぼそしていてあまり好きではなかったのですが、ホームベーカリーだとその耳が焼くとかりっとしてむしろ大好きになりました。焼き上がり時間より5~10分くらい前にスイッチを切るのが良いみたいです。4月以来パン屋さんに行くことも全くなくなりました。

真偽の程は明らかではないけど、不況でホームベーカリーが売れているといううわさも聞きました。強力粉や無塩バターはスーパーによって値段がかなり違うので、一番安く売っている場所をチェックし、そこに行った時に買っておくようにしています。パン屋さんのパンよりは大分安くできます。パンにもよりますが、スーパーで売ってるパンなどよりは多少高めか同じ位でできます。

毎日のようにパンを焼いていると言ってもその半分ほどは娘がやってきて持って帰る。先日は生○の試食でジャパンというパンをもらって食べたけど「ママのパンの方がおいしかった( ̄□ ̄;)」と言ってやっぱり持って帰る。(注:これはあくまで個人的な感想です。すみません!)「買ったら?」と言ってるけど、その気はあまりないみたいです。息子に言わせると「むしろ手間が増えて、おまけにそれじゃちっとも経済的にならないじゃないか」。そうなんですよ~

くるみやレーズンを入れたパンもおいしいのですが、ただの食パンが応用が利いて一番好きです。ジャムやパターをつけてシンプルに食べても良いし、ピザソースを作って上に乗せシュレッダーチーズをのせるのも好きヽ(´▽`)/オープンサンド等にもできる。

私は30年以上前に買った東芝の「餅っ子」という年代物の餅つき機を今だに愛用しています。お正月だけではなく気が向くといつでも普通の餅やマメ餅などを作っているのでフル活用です。ホームベーカリーを買う時電気屋さんにそれを言ったら「すごい!30年以上とは!!」とかなりびっくりされました。そういうわけで、このベーカリーも30年続きますように~・・・・それまで生きてるかな(゚ー゚;)

2009年7月 3日 (金)

雪梁舎美術館

Museum

新潟市にある雪梁舎美術館で、6月26日に始まったばかりの「フィレンツェ賞展の10年展 1999→2008」を見て来ました。私は抽象画の良し悪しはまったくわからない人なのですが、ただ圧倒されます。何が言いたいのか、何を描いているのかわからない絵でも何だか「すごい」のです。「フィレンツェ賞展」と言うのは若い芸術家育成を目的としてこの美術館で開催されてきたものだそうです。

この美術館へは実は初めて行ってびっくりしました。写真の通り和風の美術館なのです。前庭は日本庭園。常設展示室は畳の部屋。とても素敵な空間で、新潟にもこんなところがあったんだと感銘を受けました。芸術的な気分に浸った一時でした。

2009年7月 2日 (木)

いかめし

昔、母がたまに作ってくれたことがあった「いかめし」を久しぶりに作ってみました。娘が遊びに来て「作ろうよ」と言い、結局私が作るはめになりました。

私はイカの目がどうしても怖くて、料理用の薄い透明のビニール手袋をはめ、イカと決して目を合わせないように目をそらし、ほとんど手探り状態でワタを取り除きました。大変なのはそこだけで、後はお米を詰めて、醤油とお砂糖とお酒でゆっくり煮るだけ。

1時間ほど煮たら、はい、出来上がり!!

Ika

前に売っているのを買って食べて思ったほどおいしくなくてがっかりしたことがあります。作った方が断然おいしい!!ただ今回はもち米だけで作りましたが、普通のお米ともち米を半分ずつ入れる方がおいしいように思います。

昔は見よう見まねで適当に味をつけていましたが、今回は「クックパッド」で調べて参考にさせていただきました。何と便利なことになったのでしょう。インターネットで何でも簡単に調べられるなんて一昔前なら想像もできないことです。

わずかの間に急速に世の中は変化しました。「三丁目の夕日」の時代を生きてきた私にとっては今の時代はまさに「SFの世界そのもの」だと日々思いつつ暮らしています。「いかめしに思うの巻」でした。

2009年7月 1日 (水)

「ほんとうの空色」

小学校の頃、と言えば今から40年以上も前のことになるのだけれど、そんな大昔のことだから近所には本屋なんてものはなく、あの頃の私にとって本と言えば図書館にあるものかまたは希望者だけが学校で一括して買ってもらう「小学○年の学習」という月刊誌のみでした。

私は人と話すことが苦手でいつも一人で本を読んだり夢想ばかりしているような子供だったので、この学習雑誌が何よりの楽しみでした。多分小学3,4年の時だと思うのですが、付録に「ほんとうの空色」という小さな本が付いてきてそれがおもしろくておもしろくてそれこそ空にも昇りそうなくらいワクワクしました。この本について大人になってから人に話したことがあるのですが、知っている人はいませんでした。

ふと思いついて最近アマゾンで調べてみると、何と岩波少年文庫から出ているではないですか。時々思い出しては、「付録についてくるような本だから、そんなに有名な本ではないだろうし、もう二度とめぐり合うことはないだろう」と思っていたのに、見つけたときはうれしい驚きでした。ただ岩波少年文庫のこの本の第1刷は2001年となっているので私が昔に読んだものとは翻訳が違っているようです。英語で読もうと思ったのですが、実はハンガリーの作家でハンガリー語が原書でした。

「ほんとうの空色」とは、塗るとほんとうの空になる絵の具のことでした・・・「それじゃ何のことかわからん!」というコメントをする人がいたので、少し解説を加えると、朝太陽が昇り、青空が広がり雲が流れ、夕方になると日が沈む、夜は月が出て星がまたたき、雨の日はどんよりとして雨が本当に降ってくる。その不思議な絵の具で空を塗るとそんな本物の空になるのです。主人公の少年は屋根裏部屋にある大きな道具箱の蓋の内側一面に「本当の空色」を塗り、夜になるとその中に入って夜空を楽しんでいました。ちょっと違うけど、お台場にある「ヴィーナス・フォート」のようなものを想像してみてください・・・「そんな絵の具が私にもあったら」と当時は空想にふけったものでした。

昨日アマゾンから届いて早速読んでみましたが、ワクワクして懐かしく、何だか小学校の同窓会で昔のクラスメート達にあった時のような気分でした。そう言えば、人と話すのが苦手だったにもかかわらず学校の休み時間によくこの「○年生の学習」の付録についてくるお話をクラスメート数人に読み聞かせをしていたのを思い出し、どうしてそんなことができたのかと今考えると不思議です。多分1年から4年生くらいの間のことだったと思います。本を上手に読むことができるようになったのが人より早かったからではないかと思います。また、ワクワクした気持ちを自分の中だけにしまっておけなかったのかもしれません。

やがて主人公の少年が半ズボンにうっかり落とした絵の具の汁でできた小さな空(それが唯一残った最後の空でした)に別れを告げ、すっかり小さくなったそのズボンを脱ぎ捨てた時、彼は少年から大人になったのでした。二度と戻らない私の遠い子供時代と重なり、ちょっぴり切ない気分になりました。

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