フォト
2016年12月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
無料ブログはココログ

« 2010年9月 | トップページ | 2011年10月 »

2010年10月24日 (日)

台湾高雄(Kaohsiung)旅行その8

帰り道あちこちのお店に寄り、おみやげにお茶やお菓子を買い込んだ。

夜はPさん、Pさんの奥さんと一緒に中華料理レストランへ行き夕食を食べ、ホテルに戻った。

翌日は高雄発6:30という早朝のフライトなので、4時半起きの予定。早めに引き上げPさんともホテルのロビーで最後の別れを惜しんだ。

10月13日(4日目)
朝4:15分に起き、ホテルでパックしてくれた朝食を持って空港へ。パンやジュースが詰めてあった。本当にホテルも親切だ。空港でチェックインを済ませた後、もらった朝食を食べた。

毎日朝から晩までフルに動き回ったので、たった4日間とはとても感じられなかった。日本を出たのが遠い昔のような感覚だ。

帰りはもともとフライト時間が短い上に、乗り継ぎがスムーズで往路よりずっと早かった。早すぎてちょっと寂しくなったくらいだ。

明日からはまた、もとの生活。すでに今晩の夕食は何を作ろうかとか、すでに明日からの仕事のあれこれを考え初め、仕事モードになっている人もいる。A子さんはこの後すぐAPECの通訳が待っている。

みんな多忙の中、こうやって時間をやりくりし、この旅行が実現したことは奇跡のように思える。楽しく有意義な4日間。みんな、ありがとう、そしてお疲れ様。

台湾高雄の人たちにも心からのありがとうを送ります。

2010年10月23日 (土)

台湾高雄(Kaohsiung)旅行その7

Dscn0148 Dscn0150 Dscn0151150

3日目 10月12日(火)

ホテルで朝食を食べた後、近くにあるPさんの家の前で集合。その後、Pさんが勤務する大学に車で移動。J子さんが前の助手席に乗り、後の3人は後ろに乗った。私はとうとう乗らずに終わったけど、助手席に乗るのは相当恐怖らしい。運転がすさまじい。

移動中J子さんが途中何度か「ねえ、ねえ、・・・だよね~」と後ろを振り返ったらしいが、後ろに乗った3人は終始爆睡。私も気づいたら大学に着いていた。(昨夜はちょっと・・・いや毎夜遅くまでぺちゃくちゃやっていたので、ちと睡眠不足(;´▽`A`` )

大学に着いた後、同じ敷地内にある International School へ徒歩で行った。そこでまず校長先生にお会いした。その後2つのの授業を見学した。この見学のことは事前に話がうまく伝わっていなかったらしいが、校長は「名誉なことだ」と快く受け入れてくださった。

最初の6年生の授業はプリゼンの時間だったので、普段の授業の様子は見られなかった。この学校はどの科目もすべてバイリンガルで教えているそうだ。中国人の先生とネイティブの先生が二人組で教え、それぞれ交替で授業を担当する。それぞれ自分の言語で教えるのだそうだ。

6週ごとにテーマが決められて、話し合い、質問、資料、ネットなどで知識やアイディアを生徒たちが得られるようにする。今日は6週目の最後の時間に当たり、1人1分から2分のプリゼンを行うことになっていた。

生徒たちの英語は流暢で、文を書くことにも慣れているようだったが、声が小さくちょっと聞き取ににくかった。

もう一つ見学した授業は、中学1年の授業で、"conference" の時間であったため、こちらも普段の授業の様子は見られなかった。"conference" というので会議かと思ったら、テーマに沿って生徒が書いたものを先生が一人ずつ面談し、内容のアセスメントをするという時間だった。個別に面談の形だったので、あまり近づくわけにもいかず、生徒たちの英語はかすかに聞こえる程度だったが、ネイティブの先生とのコミュニケーションに不自由している様子は全くなかった。

普段の授業は見られなかったが、教室や廊下に貼られている掲示物を見ることで、生徒たちの普段の活動がある程度わかる。英語の能力の高さも感じられる。英語力だけではなく、自ら考える力を育るという理念を持っているようだ。

ただ、この学校の授業料は相当高く、裕福な家庭の子供たちが集まっているとも聞いている。おそらく小さい時から家庭教師や塾等で、特別な教育を受けている子供たちではないかと思う。

生徒たちの集中力は昨日の学校の方が優れていたと思う。でも、普段の授業を見ていたら、また別の感想を持ったかもしれない。オールイングリッシュでの普段の授業を見てみたかった。

突然の訪問となってしまったにもかかわらず大変歓迎され、再び台湾の人たちのオープンさと親切さを実感した。私たちも同じ好意をお返ししたいと思う。

この2日間で、公立・私立の2つの学校の授業を見学してきた。台湾高雄での英語教育は私たちが想像していた以上にすばらしいものだった。ただ、滞在日数も短く、交流する人たちも限られていたので、台湾の人達全般の英語力については判断ができない。ホテルやデパートでは英語は通じるが、その他の場所ではあまり通じなかった。(と言っても、学校関係者以外の一般の人との交流は年配者ばかりだった。)

この教育が実るのはこの子供達が大きくなるころかも知れない。このすばらしい英語教育の実践は必ず実を結ぶと確信した。

2010年10月22日 (金)

台湾高雄(Kaohsiung)旅行その6

Dscn0125 Dscn0126 Dscn0130_3

さて1時間後、河のほとりで再びPさんと合流した。タクシーで西子湾の小高い丘に立つ「旧英国領事館」へ。Hamasenと呼ばれる地域だそうだ。ネットで見ると台湾初の洋館とある。近年改装、再生されたものらしく、6年前には行っていないが、台風で行けなかったのか、まだ工事中だったのかはわからない。

目を奪われるすばらしい建築物だ。上左の写真にある不思議な階段を登りオープンカフェで一休み。丘からの眺めを楽しみながら、私はアイスクリームを食べた。

Dscn0131 Dscn0128 Dscn0135

やがて日が暮れてくるとライトアップされ、建物が美しく輝く。高雄港が眼下に広がり、太陽が海に沈んでいくのが見える。漁船の明かりがともり汽笛の音が聞こえる。このロマンチックな光景にしばし言葉を忘れて見とれていた。


Dscn0136 Dscn0138 Dscn0139

さて再び、タクシーに乗り、ナイトマーケットへ(写真上左)。この日は月曜日だったが、たくさんの人でにぎわっていた。毎夜、開かれているそうで、しかもナイトマーケットはここだけではないそうだ。実にいろんなものが売られている。日本のお祭りで見るような屋台や綿菓子などもあるし、衣類や靴、生の魚介類や肉まで売っている。ちょっと怖いものも売っている。イカを焼くようなおいしそうなにおいも途中で漂ってきたが、奇妙なにおいも漂ってくる。ナイトマーケットは台湾に来たら必ず見るべきものの一つだそうだ。

今度は地下鉄に乗ってデパートに行き、本屋をのぞいたり、買い物をしたりした。そして再び地下鉄を乗り継いでホテルへ帰った。地下鉄でまず目を奪われたのがこの天井(写真上右)。ガラスでできているそうだ。(中央の写真は地下鉄の入り口)

もっと高雄市内の様子など、いっぱい写真を撮りたかったが、せっかくカメラを新調したのにバッテリーの充電器を持ってくるのを忘れてしまった。買った時にすぐ充電し、使い方を覚えるために山ほど試し撮りをしたので、すでに電池マークが現れている。明日の学校でバッテリー切れになってしまっては何しに来たのかわからなくなる。撮りたいところはいっぱいあったが大分我慢した。

しかも充電器を忘れたのは私だけではなかった。J子さんはカメラとビデオの両方持って来ていたが、二つとも充電器がない。後の二人はそもそも持ってきていない。他に3人もいるから大丈夫と思ったのかも知れない。しかし、このメンツでは何事につけても4人もいるからと言うのは楽観的過ぎるということが、今回の旅行でよくわかった。「4人もいるから大丈夫」ではなく「この4人だから不安」と思っていたほうが安全だ。今回の旅行中もありえないような不思議なできごとが次々起きた。そしてよく笑いあった。

この日の終わりにはホテルの部屋でPさんも一緒に祝杯をあげた。

2010年10月21日 (木)

台湾高雄(Kaohsiung)旅行その5

Dscn0118 Dscn0119 Dscn0123

学校の授業の見学を終えると、Pさんとホテルのロビーにて合流し、遅い昼食をとった。Pさんのお気に入りのメキシカンレストランだった。どうやら私は6年前に行った時も同じレストランに来ていると思う。6年前の写真を引っ張り出してみるとテーブルの上にある料理に見覚えがある。

パエリア3人前、タコス3人前、ピザ(何人前か忘れた)それにサラダを頼み、こんなに食べられるの?と思ったが、J子さんと私が延々と食べ続けほぼ完食。

この後、高雄市立歴史博物館に徒歩で向かった。日本統治時代1938年に建てられ、当時は高雄市市役所として使用されていたそうである。歴史を感じさせる堂々とした建築物。せっかく歩いてたどり着いたが、あいにく休館日だった。上右側の写真。

その後、Pさんの仕事があるので、1時間ほど仕事先の近くにある愛河のほとりで待つことになった。しかし、とにかく蒸し暑く、紫外線も気になるので、近くにある Goody Goody Coffee と言うコーヒーショップに入ることにした。とても感じの良いおしゃれな店で、最初入り口付近に座っていたが、「奥の方が涼しい」からとウェイトレスさんがわざわざ勧めに来てくれたので、みんなで移動。

K子さんが先頭を歩き、その後A子さんが続く。A子さんは何故か、一歩ごとに手袋右手、左手、帽子など一つずぽとりぽとりとまったく気づかず、後ろに落としながら歩いて行く。(「その3」で書いた帽子、サングラス、手袋、扇子で怪しいスタイルの人)

その後ろから歩き始めた私とその後に続いたJ子さん、「え、なんで?!」と笑う、笑う。

後から聞いたら、膝の上に手袋、帽子などを乗せて座っていたことをすっかり忘れて立ったそうだ。

私はお腹が痛くなるほど笑い転げ、そして文字通り転げてしまった。高雄は道路だけでなく建物の中でも段差がいっぱいあって、常に足元に用心していなくてはならないのに、私はその段差につまずいて転んでしまったのだ。

私の後ろを歩いていたJ子さんは、これを見て私の身の上を心配するどころか大笑い。不思議にどこもけがをせず、痛いところもなく、大事にはいたらなかったが、この事件にいつまでもみんなで笑いが止まらなかった。

誰も私の身の上を心配してくれなかったが、ウエィトレスさんが、ビンに入ったメンソレータムのようなものを持って飛んできて来てくれた。それがまた何故かおかしくて大笑い。

さて、A子さんはアイスミルクティー、K子さんと私はアイスレモンティー、J子さんは確か、酢の入ったお茶をオーダーした。

まず、A子さんのアイスミルクティーが運ばれてきた。表面に泡がたっぷりとかなりの体積を占めている。かわいいウエィトレスさんが、カップを置くと、たどたどしい日本語で言い始める。「の・み・か・た・をーおしえて~~」と・・・そこで、言葉につまる。(ホントは「飲み方を教えます」と言いたかったのでしょう。)

A子さんがすかさずその後を受けて、「くださ~い」と言う。
そこでどっとみんなで大笑い。続いてアイスレモンティーが出て来たが、レモンティーなのに同様に泡が表面にたっぷり。

またも、ウエィトレスさんが「の・み・か・た・をー」と言い始めたところで、私達みんなですかさず後を続けて言う「おしえて~くださ~い」。そしてまた再び爆笑。

肝心の飲み方を教える段になると、今度はウエィトレスさんが「すうぅ~」「すうぅ~」と言い続けるので全員「???」。そして互いに顔を見合わせ再び爆笑。

どうやら「吸う」と言う意味だとわかり、それではと私がズズッという感じで吸ってみせると、「違う、違う」と言う。正しい飲み方は泡だけを先に飲まずに下のお茶を吸って、泡と程よい加減に一緒に飲むということらしいとわかった。

それにしても大変においしいお茶だった。最後にお店のウエィトレスさんたち全員と記念写真を撮らせてもらった。帰国してからネットを調べてみたら、人気のスポットだということがわかった。「表面のアワアワが人気の秘密!」って書いてある。情報はこちら

また再び高雄を訪れることがあったら、ぜひとも寄ってみたいコーヒーショップでした。

2010年10月20日 (水)

台湾高雄(Kaohsiung)旅行その4

Dscn0082_3 Dscn0097_3

まず学校に入って気づいたのは、階段のステップや廊下に書かれている英語だ。廊下の壁面にはSentence of the Week(今週の文)が英語で書かれていた。

私の教室にも窓の下には "window"、 時計の下には "clock"、地図の下には "map" などあちこちに英語を書いたものを貼り付けているが、単語だけだ。これで教育効果が上がっているかどうかはわからないが、英語に触れられる環境を作っておくことは大切なことだと思う。早速文章レベルでも試してみたいと思う。

Dscn0083_4 Dscn0095 Dscn0103


さて、いよいよ教室へ。生徒たちは日本と同じで自分たちの教室がある。しかし英語の先生は自分の教室を持っていて、生徒たちは英語の時間になるとそれぞれ、担当の先生の「英語教室」へと移動する。

私達は二人の台湾人の先生の授業をいくつか見せていただいた。そして先生が実に流暢な英語を話されることに驚いた。最初の授業を見た後に「あなたは英語の先生の中でも、特別に英語が上手なのですか」と質問すると、「私は平均です」と答えられた。多少の謙遜もあるかも知れないが、その後、別の先生のクラスを見学した時も同様であった。またもう一人、主任先生も流暢な英語を話された。すべて台湾人の先生である。

台湾では小学校の英語の先生も英語を教える資格が必要であり、スピーキングのテストもあるので、「英語を話せない英語の先生」はいないようだ。

私たちが見学に行くことは事前に知らされていたが、特にそのために取り繕った授業ではないことは一目瞭然であった。生徒たちは全く知らなかったようだ。全く自然体の授業であった。後で聞いた話だと、私たちの訪問は直前になって知らされたらしい。

先生は授業中、テンポよく英語と中国語で頻繁に生徒に話しかけ、質問もしていたが、生徒たちもそれをよく理解し、よく英語で返事をしていたので驚いた。マイクを使って授業をしていたのも印象的だ。しかし、生徒の間でレベルの差があるのも授業の中で見られた。後で話を聞くと、14パーセントが外国人の親であり、その生徒たちが特に学力が低く悩みの種となっているそうだ。また、貧富の差がそのまま学力差につながっているようだ。しかし、この問題は万国共通だ。また都市部と地方の間には、教育の格差もあるとわかった。高雄は台湾2番目の都市である。

また、さらに印象的だったのは、電子黒板だ、e-board とかinteractive board とか呼んでいた。私は初めて電子黒板を見たが、コンピュータで操作し、プロジェクターで文字や絵が大きく映し出される。英語の書かれている部分を指差すと、発音もしてくれる。ペンで答えを書いたり、ドラッグして単語や文を絵の場所に持ってくることができる。生徒は電子黒板でくじ引きの要領で指名されると、前に出てきて電子黒板に触って解答していたが、楽しんでいるのがよくわかる。

日本でも使っているところがあると聞いたが、電子黒板には大きな可能性を感じた。その導入は大きく教育を変えると思った。

この学校では電子黒板は今年の初めから本格的に取り入れられていて、それまでは先生の教材作りが大変だったそうだ。教科書と電子黒板の教材一式と教師用の指導書がうまくできていて、どの先生であってもほぼ同じ質の授業が受けられるという印象を受けた。私もこの一式が欲しいと思ったくらいだ。後は先生の指導力にかかっている。

教科書はかわいらしい絵がついた4コマ漫画形式のものだった。教科書の絵が子供をひきつける魅力的なものであることも大切だと思う。

一つだけ、ちょっとびっくりしたのは、生徒が答えるとご褒美をもらっている場面に遭遇したことだ。ささやかなおせんべいのようなものであったが、公立小学校でこの光景は日本では絶対考えなれないことだと思った。また別のクラスではスタンプを押し、スタンプが一定数貯まると、景品がもらえるようになっていた。それはみんな先生のポケットマネーから出ているのだそうだ。生徒の学習意欲を高めるためであり、親の教育への要求もかなり厳しく、プレッシャーも大分あるようだ。

でも、ご褒美などなくても生徒にとって充分魅力的な授業なのにと思った。特に最初に見た先生の授業は、生徒のみならず、私達全員すっかり魅せられてしまった。

授業の後、一人の先生は、私たちに明日の予定が決まっていないなら、市内を案内しようとまで言ってくださった。外部から、しかも外国から見学に来た人を快く受け入れてくれたこの学校にはどれだけ感謝してもしたりない。同じように自分たちにできるだろうかと思った。このオープンさ、この寛容さ、この親切さは私たちも見習わなければならないと思う。

2010年10月19日 (火)

台湾高雄(Kaohsiung)旅行その3

Dscn0073 Dscn0075

2日目 10月11日(月)

私たちが滞在したのは最近改装したばかりのKingship Hotel というところで、バイキングの朝食がついていた。旅行に来る直前まで胃が絶不調だった私。滞在中は嘘のように良くなって大いに食べて飲んだ。何もかもがおいしかった。

朝7時半、朝食を食べているところへPさんが私たちを迎えに来た。
私たちが今日訪問する高雄市立の小学校はホテルのすぐそばにある。ホテルから小学校まで歩いて行った。

高雄は台湾第二の都市で人口150万。バイクの所有台数は一人一台というくらいバイクが多い。まだ早朝で数は少ないが、日中、バイク(原付)の集団を実によく見た。「快楽学習英語という看板が目に留まり写真を撮ってみた。

右側の写真は、ホテルの裏の方。早朝なのでシャッターが全部下りている。このアーケードはまっすぐにどこまでも続いている。(実際何メートルあるのかはわからない。)2004年に行った時との大きな違いは、当時は工事中だった地下鉄が今は開通していることだ。翌日乗る機会があったが、すばらしかった。

しかし、それ以外はほとんど6年前と同じで、少なくとも一歩裏に入ると日本の昭和のにおいがする。「三丁目の夕日」のイメージだ。

ここでは常に足元に要注意だ。段差があちこちにあるからだ。バリアフリーではなくバリアバリアまたバリアだ。そしてドライバーは信号を守らないし運転が荒いので、車やタクシーに乗っていても怖い。そして歩いている時も常に注意していないと跳ね飛ばされかねない。

今日の小学校は、Pさんの奥さんであるTさんが話を通しておいてくれていたので、スムーズに見学が実現した。この小学校は台湾の日本統治時代には日本人の学校だったそうだ。

小学校の門の脇には守衛室があり守衛のおじさんがいた。守衛のおじさんが先生に電話をしてくれた。

10月でも台湾は亜熱帯で大変に暑い。先生を待つ間もかなり暑かった。しばらく外で立って待っていたが、やがて守衛さんが部屋の中に私たちを招き入れてくれた。

余談であるが、A子さんは日本にいる時もそうだが、紫外線を避けるために黒の帽子、サングラス、手袋というかなり怪しいいでたち。そして、その格好では相当暑いので常に扇子を持ち歩いている。

しかしこの怪しい格好でもここでは全然目立たない。と言うのは台湾では色とりどりの派手なマスクをつけてバイクに乗っている人達がいっぱいいたからだ。台湾では普通でも私たちには相当怪しく見える。排気ガスで空気があまり良くないのだ。

私は以前サーズ(SARS)が流行した時に、CNNで台湾の人達が派手なマスクをつけているのを見た。"SARS CHIC"(サーズ シック)と言うタイトルで放送されてた。台湾の人達はあの危機的な状況にあっても、マスクでおしゃれを楽しんでいるという内容の番組だった。でもどう見ても「シック」って感じではないし、かわいいって感じでもない。もしかしたらサーズ発生時以来の流行なのかも知れない。店にいっぱいぶら下がっているのを見たけど、写真撮らなかったのがちょっと残念。

守衛室の中を見て驚いたのは防犯カメラが随所に設置されていて、スクリーンに校舎や内部の様子が常に映し出されていることだ。セキュリティが高い。一方、放課後になると小学校は一般の人たちに開放されていると聞いた。

それにしても、この守衛さんも親切だったが、この後出会った高雄の人たちはみんな驚くほど親切で友好的だ。

2010年10月18日 (月)

台湾高雄(Kaohsiung)旅行その2

Dscn0056 Dscn0064 Dscn0068

乗り継ぎの台北空港で撮った写真です。

往路フライトは次の通り

中華航空(China Airline)
成田発 16:25 台北着 18:55
台北発 21:45 高雄着 22:45

日本との時差は1時間

時差1時間なので約3時間半で台北に到着する。往路の乗り換えは3時間待ちであった。台北からは1時間。

後で聞いたところによると、台北から高雄までは新幹線が通っているとのことで、新幹線を利用した方が早かったかも知れない。帰国してから調べてみると、2007年1月に開業したと言うことで、「車輌など日本の新幹線技術(JR東海・JR西日本共同)を投入したため、日本のみならず台湾においても「台湾新幹線」と呼ばれることもある。」とある。台北―高雄間は最短わずか90分となっている。実際には車両は日本製だが、システムその他、日欧混在システムとなっているそうだ。(参考:Wikipediaより)

待ち時間が長いので台北空港をあちこち探索して歩いた。漢字の表記がおもしろく「ROLEX」が「労力士」と表記されていたのがK子さんにかなり受けていたので写真を掲載。フリーインターネットが一角にあり、使ってみたりした。

高雄に到着したのは夜11時ごろ。空港から外に出るとPさんが満面の笑みを浮かべ、私たちのもとに飛んできた。2003年3月に彼が新潟に訪れたのを最後に7年半ぶりの感動の再会だった。そしてPさんの運転する車で空港から車で20分くらいのところにあるホテルへと直行した。

実は、私は2004年7月に高雄を訪れていて、今回で2度目だ。

私にとってはPさんとは6年ぶりの再会。その時は運悪く台風に見舞われ、滞在中は横殴りの雨が降り続けるというかなり悲惨なことになってしまった。あの台風で台無しになった旅行の償いをさせて欲しいとPさんは何度も繰り返して言っていたが、天気は彼のせいではない。しかし今回再度の訪問が実現し、彼も長年の胸のつかえが一つ消えたようだった。

2010年10月17日 (日)

台湾高雄(Kaohsiung)旅行その1

2010年10月10日~10月13日まで4日間の日程である。

今回の台湾高雄への旅は小学校と中学校の英語教育の現場を見学して研究すると言う趣旨のものである。台湾の英語教育のレベルがどの程度かは全く知らずに行ったが、実際すばらしい教育の実践があり、収穫の多い旅行となった。

学校に話を通してくれたのは私たちの長年の友人であるPさん。高雄の大学で英語を教えているアメリカ人だ。ホテルも彼がすべて手配してくれた。

参加者4人J子さん、A子さん、K子さんそして私。

1日目 10月10日(日曜)
私達4人は、英語のサークル仲間である。付き合いは長いが一緒に旅行するのは初めてのことであり本当に夢のよう。行く前からみんなとてもワクワク、ドキドキ。

実は私は当日になってもこの旅行について1つ大きな勘違いをしていた。

この日の朝、私を除く3人は新潟駅から、私は燕三条から新幹線に乗車した。燕三条で合流すると早速みんなで祝杯をあげた。

台湾でのホテルについての話になった。ツインの部屋が2部屋になるが、部屋割りがまだ決まっていなかった。
K子が言う、「毎晩相手をとっかえひっかえ寝ようぜ!」と。その表現に爆笑。そこに突っ込みも入る。

そしてその後「でも組合せを考えると全員と同じ部屋にはなれないね、だって2泊しかないんだもの」と私が言うと、みんなから「はあっ?」とあきれたような声。「だって2泊4日でしょ?」と私。その言葉に3人が一瞬固まった。「一体どこに行くつもりなの。台湾だよ。時差1時間しかないんだけど」

きゃー、そうだった(;´▽`A``

最近は海外と言えばヨーロッパ旅行が多かったので、海外は自動的に2日引くとインプットされていたのだ。この時に至るまで2泊と信じていた私・・・

「じゃあ、Michikoさんだけ2泊ね、さようなら~」などの冷たいお言葉を頂戴した。

今回の旅行の間中、この大ボケぶりを笑われ続けたが、実はこの4人は揃いも揃ってそそっかしさ、ドジ・天然ぶりはいい勝負なのだ。旅行中何度、お互いのドジに笑いあったことか。A子さんの言葉を借りればあきれるほど、J子さんの言葉によれば泣くほど笑い転げて過ごした4日間だった。

« 2010年9月 | トップページ | 2011年10月 »