3.英語の本

2009年10月25日 (日)

"The Memory Keeper's Daughter"その2

作者がこの本の後書きに書いているのですが、この作品は教会の牧師から聞いた話がヒントとなって書かれたものです。

しかし、作者は牧師から話を聞いてもすぐには書き始められなかったそうです。何年も経って初めて第1章がふいに湧き上がりました。第1章を書き終えた時、これらの人たちがどうなっていくのか、何が起こるのかを知りたいという気持ちが強くなり、それがわかるまで書くのを止められなかったのだそうです。作者は天の声を聞いていたのでしょうか。

物語の後半部分で、デビッドは何年もの間戻ることのなかった自分の生家に戻り、そこでローズマリーと言う女性に遭遇します。彼女は "scherenschnitte"と言う美しく繊細なスイスの切り絵細工で家の中をいっぱいにしていました。一枚の紙から巧みにさまざまなシーンを作り出していく。デビッドがどこからアイディアが生まれるのかと聞くのに対し、ローズマリーは
"It's in the paper. I don't invent them so much as find them." と答えている。
つまり作品はすでに紙の中にあり彼女はそれを発見するだけだと言うのです。下絵も構想も何もなしで、いきなり切り始めるのです。

この"The Memory Keeper's Daughter"と言う小説も同じようにして生まれたのでしょう。真の芸術というのは文学であれ音楽であれ絵画であれ何であれ、そういうものなのかも知れません。そう言えば優れた仏師は木の中に仏が見え、仏が出してくれと言うのを堀り出すだけだと聞きました。そこに神の存在を感じずにはいられません。(多くの日本人と同様に信仰心はあまりないのですが、真の芸術に触れる時など時として神の存在を感じずにいられない瞬間があるのです。)

芸術は神からのメッセージではないかと思うことがよくあります。天才という媒体を借りて自らの存在を知らしめているのではないかと思うのです。芸術に対し、畏敬の念を禁じえません。

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2009年10月24日 (土)

"The Memory Keeper's Daughter"その1

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"The Memory Keeper's Daughter" by Kim Edwards
出版社 Penguin
401ページ

この本は二年ほど前に一度読んでいます。ちょうどペーパーバックになったばかりで、それを機にアメリカで大ヒットした作品としてラジオ英会話のテキストの後ろで紹介されていたのを見て読みました。

前回読んだ時は、早く先を読みたくて筋を追うような読み方だったので、今度はゆっくり味わいながら読みたいと思いました。ストーリーもおもしろいのですが、文学の香り高い作品です。言葉が美しく響き、音楽を聴くようです。あらすじは次のようなものです。

1964年3月、ある吹雪の夜だった。初めての子供の誕生を心待ちにする整形外科医のDavid とその妻ノラ。予定日よりはるかに早いこの吹雪の夜に、突然妻の陣痛が始まります。雪のため産科医は来れなくなり、デビッド は看護婦のキャロラインと二人で赤ん坊を取り上げることになる。

ノラは無事に男の子を出産した。しかし、思いがけないことに、その後続けて女の子が生まれたが、一目でダウン症とわかる症状を呈していた。とっさの判断でDavid はキャロラインにその女の子を渡し、施設に連れて行くようにと頼む。そして妻には二人目の子供は死産であったと告げる。

それはディビッドが愛する妻を守ろうとしてとっさに下した判断だった。しかしこの一瞬の判断はその後のすべてを永久に変えてしまうものだった。

彼の判断の背景にあったものは、12歳でこの世を去った先天性心臓病の妹と、彼の貧しい生い立ちだった。貧しさゆえに彼らの生活は悲惨なものであり、彼の母親は妹の死後も悲しみから立ち直ることができなかった。だから、彼はどんな代償を払ってもノラを守りたかったのだ。

家を出る時、ノラは「この家に帰ってくる時は、赤ちゃんといっしょね。私たちの世界は今までとは決して同じでなくなるわね。」と言うのだけど、それがまさしく未来を暗示していたようです。

原文はこれです。この言葉が何度か繰り返し使われています。"Our world will never be the same."象徴的な言葉です。

キャロラインは密かにデビッドに思いを寄せていた。施設に入れると彼が言ったことにショックを受けたが、言われた施設に連れて行く。しかし置いてくることができず、そのまま連れて帰り自分の子として育てる決心をし、この町を去る。この時から二つの家族は全く別の場所で、別々の人生を送ることになるのだった。

デビッドは妻や息子を失うことを恐れて生涯、彼らに真実を告げることができなかった。最終章は1989年9月1日。この小説の中で、25年の歳月が流れていきます。

この重すぎる秘密は日々家族の中に根を下ろし、やがてデビッドとノラ、そして息子ポールとの間を隔てる大きな壁となってしまう。ノラとポールを苦しみから守ろうとしてやったことが、もっと多くの苦しみを生み出すことになってしまったのだ。

タイトルとなっているメモリーキーパーというのはカメラのことです。直訳すれば「記憶を保つもの」。結婚記念日にノラがデビッドに贈ったものだったが、彼はやがて取り憑かれたように写真を撮るようになります。一瞬をその場に捉え永遠のものにしようとするかのように、過去を、時の流れを止めようするかのように撮り続けるのだった。

ダウン症の子供を育てることはあらゆる意味で戦いを意味します。長くは生きられないというデビッドの診断を裏切り、娘フィービーは生き延びた。純真でくったくのない愛にあふれた女の子に成長します。苦悩と同時に愛と喜びをキャロラインに与えてくれるのです。果たして生きる価値のある人生とは何を意味するのでしょう。

ダウン症の彼女にとっては世の中は不公平な場所だ。しかし思い煩うことをせず、この世は「どんなことだって起こりうる」素晴らしくもあり独特の場所だとして、すべてをそのままに受け入れている。

デビッドの死後、ついに真実がわかり、怒りと苦悩の末ノラの出した結論は、現実をそのまま受け入れることだった。彼を許す。少なくとも許そうとする。そして「私たちには選択肢がある。恨みを抱き憎み、怒りを抱いたままで生きるか、それとも気持ちを切り替え先に進むかだ。」と言う。

原文ではこうなっています。

"But you and I and Phebe, we have a choice. To be bitter and angry, or to try to move on. It's the hardest thing for me, letting go of all that righteous anger. I'm still struggling. But that's what I want to do."

強いメッセージが伝わってきます。

1960年代は今とは事情がずいぶんと違っていたとは思いますが、ダウン症に対する偏見は今もまだ根強くあるのではないかと思います。ダウン症は英語では "Down Syndrome" ですが、最初にデビッドが娘を見た時に使われた言葉は "Mongoloid" でした。辞書によれば1番目の意味は「モンゴル人種」で2番目の意味が「ダウン症患者」です。この言葉が使われたのは最初の1回だけだったと思うのですが、驚きました。多分今は差別語として使われなくなっているのではないかと思います。

この小説は作者が教会の牧師から聞いた実話をヒントに書いたものだそうです。今聞けばショッキングな話ですが、時代は1964年であり、ダウン症の子供を施設に入れると言うのは当時は普通に行なわれていることだったのです。これに似たような話は私も聞いたことがあります。

ストーリーのおもしろさにぐいぐいひきつけられます。400ページ余りの作品で、英語が易しいというわけにはいきませんが、すばらしい文学作品です。日本語の翻訳版もすでに出ています。

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2009年9月10日 (木)

神がドアを閉めるとき

The Shop on Blossom Streetより

以前に読んだペーパーバックからです。(クリックで以前のレビューに飛びます。)

apple
The old proverb was right: God never closes a door without opening a window.
「神はドアを閉めるときには必ず窓を開ける。」


どんな状況でも必ず一筋の希望が残されているということだと思います。もしかしたらその窓は全開であなたが外に飛び出すのを待っているかもしれません。

世の中、全然思い通りに行かない。「自分はついている」と思っている人が成功する人だと聞いたことがあるけど、思い通りに行かないことが多すぎる。でも「神は必ず窓を開けてくれている」と信じたい。そしてその窓を見つけたい・・・・と思う今日この頃。

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2009年9月 1日 (火)

段取りは大切

再びペーパーバック"FROM THE MIXED-UP FILES OF MRS. BASIL E. FRANKWEILER"の中から。まだこのネタを引きずっています(;´▽`A``

apple
Five minutes of planning are worth fifteen minutes of just looking.
(拙訳:5分間の計画は、やみくもに15分間捜すことに匹敵するのよ。)


フランクワイラー夫人の膨大なファイルの中の一つに "Angel"の秘密が隠されている。そのファイルから秘密を探し出すのに与えられた時間は1時間。早速ファイルの入った引き出しに飛びついていったジェイミーにクロディアが叫びます。"STOP!""と。

上記の文はその後続けてクローディアが言った言葉です。

何事にも段取りって大切なんですよね。紙に書くと有効だと聞いてやってみたこともあります。時間がないと嘆く前に計画を立て物事に取り掛かればもっと時間の使い方が上手くなると思うんですけど、それがなかなかできずにいる私です。要領が悪いんです。なくし物を捜す時もやたらに捜しまわるより、立ち止まって自分の行動を順を追って考え直してみる方が早い場合があります。

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2009年8月29日 (土)

Been there, done that.

再びペーパーバック"FROM THE MIXED-UP FILES OF MRS. BASIL E. FRANKWEILER"の中から.

apple
Some people spend all their time on a vacation taking pictures so that when they get home they can show their friends evidence that they had a good time. They don't pause to let the vacation enter inside of them and take that home.
(拙訳:休暇に出かけて、ずっと写真撮ってばかりいる人たちがいる。うちに帰ってから楽しかったという証拠を友達に見せるためにね。そういう人たちは立ち止まって休暇を自分の心にしみこませようとしようとしないのです。)

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あらら、これって私のこと?でも、人の記憶がどれほど当てにならないものかも私は知っているのです。写真に残すことで記憶が新たによみがえり、永久に心にとどまると思うからです。フランクワイラー夫人が言いたかったのは、自分が見たものを心の目で感じて自分のものとせよということでしょうね。

本文では次のように書かれています。

"The adventure is over. Everything gets over, and nothing is ever enough. Except the part you carry with you. It's the same as going on a vacation. Some people spend all their time on a vacation taking pictures so that when they get home they can show their friends evidence that they had a good time. They don't pause to let the vacation enter inside of them and take that home."

(拙訳:冒険は終わったの。何にでも終わりがある。そしてこれで充分てことはないの。自分が持ち歩けるものは別としてね。それは休暇に行くのと同じこと。休暇に出かけても、ずっと写真撮ってばかりいる人たちがいる。うちに帰ってから、楽しかったという証拠を友達に見せるためにね。そういう人たちは立ち止まって休暇を自分の心にしみこませようとしないの。)

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英語の表現で "Been there, done that." というのがあります。「そこも行った、それもした。」ってことですが、旅行に行った人がそう言って自慢することを揶揄した言葉です。"Been There Done That Got the T-Shirt"とさらにエスカレートした表現もあるようです。さらにその証拠にTシャツまで買ったってことでしょうか。

"Been there, done that."には他に、「私も同じことを経験した。だからあなたの気持ちがよくわかります。」といった場面でも使うことができます。同じ言葉でも状況により意味が変わってくるのですね。

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2009年8月28日 (金)

おだては世界を動かす

最後に読んだペーパーバック"FROM THE MIXED-UP FILES OF MRS. BASIL E. FRANKWEILER"の中から.

apple
Flattery is as important a machine as the lever, isn't it, Saxonberg? Give it a proper place to rest, and it can move the world.

(拙訳:おだてというものはてこと同じくらい大切な道具ですよ、サクソンバーグさん。適切な場所に当てれば、世界を動かすことができますよ。) 

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家出の相棒としてクローディアは下から2番目の弟のジェイミーを選びます。クローディアに話があると呼びつけられたジェイミーは不満たっぷり。本文中ではこんな風に書かれています。

"Why pick on me? Why not pick on Steve?" he asked.

Claudia sighed, "I don't want Steve. Steve is one of the things in my life that I'm running away from. I want you."

Despite himself, Jamie felt flattered. (Flattery is as important a machine as the lever, isn't it, Saxonberg? give it a proper place to rest, and it can move the world.) It moved Jamie. He stopped thinking, "Why pick on me?" and started thinking, "I am chosen."

(拙訳:「どうして僕なの?何でスチーヴにしなかったの?」と彼は尋ねた。
クローディアはため息をついた。「スチーブは要らないの。スチーヴは私が逃げ出したいものの一つなの。あなたがいいの。」
ジェイミーは我知らず、気分をよくした。(おだてというものはてこと同じくらい大切な道具ですよ、サクソンバーグさん。適切な場所に当てがえば、世界を動かすことができますよ。)それはジェイミーを動かした。彼は「何で僕を?」と思わなくなり、「僕が選ばれたんだ」と思い始めた。)

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なかなかうまいですね。豚もおだてりゃ木に登る。おだては世の中を動かす!!

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2009年8月27日 (木)

"From the Mixed-up Files of Mrs. Basil E. Frankweiler"

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"From the Mixed-up Files of Mrs. Basil E. Frankweiler"
by e.l.konigsburg
出版社 ALADDIN
162ページ

前回の "The Soloist" とは180度転換、少し息抜きをしようと再び児童文学に戻ってきました。タイトルは長くて複雑そうですが日本語に直訳すれば「ベイゼル・フランクワイラー夫人のごちゃごちゃファイルから」とでもなるでしょうか。

クローディアはもうすぐ12歳になる女の子。4人兄弟で一番上の女の子だからという理由だけで、自分だけ不公平な扱いを受けたり、友達と比べてお小遣いが少なかったりすることに怒っています。単調で同じことの繰り返しの毎日や、ただのオール5のクローディア(straight A's Claudia Kincaid)でいることからも逃れたくなって、家出をしようと計画を立てます。

都会育ちで不愉快なことや汚いこと、つらいことが嫌いな彼女が決めた家出の先はニューヨークメトロポリタン美術館。彼女が選んだ家出の仲間は下から2番目9歳の弟ジェイミー。メトロポリタン美術館で16世紀の優雅なベッドに1週間も寝泊りした子供、いや大人だって、世界広しと言えどこの二人だけでしょう。(でも清潔好きのクローディアはこの優雅でロマンチックなベッドがかび臭くて、洗剤で全部洗ってしまいたい衝動に駆られるのです。)

頭がよくておませな姉と、(子供にしては)お金持ちでしまり屋でユーモアもある弟のコンビが絶妙で、二人の会話がかわいらしくなかなか笑わせてくれます。どうやって美術館の職員やら夜警やらに見つからず、朝夕の開館時、閉館時をやり過ごすかというところもハラハラさせられます。

思いがけず美術館でなぜかクローディアが心を奪われた「天使の像」(Angle) の謎解きを始めるところから、クローディアにとってこの家出にどんな意味があるかが、はっきりとした輪郭を現し始めます。

冒頭は本のタイトルに名前の出てきたフランクワイラー夫人の1ページ分の手紙から始まりますが、その後の物語との関係が最初はよくわからず、ずっと謎だったのですが、最後の方になってやっとつながり、思いがけない展開となっていきます。クローディアの賢さ、まじめさ、純粋さ、感性の豊かさに心を動かされます。

160ページ程度で長さも程よく、子供の心を持った大人を満足させてくれる作品だと思います。初版は1967年ですが、今回私が買った本には35周年を記念して作者による後書きがついています。この後書きは本文以上に私の興味を引きました。ニューヨークもメトロポリタン美術館も35年の間に様変わりしました。

2001年9月11日以後、人々の心や意識は変わり物価も変わりました。ただトレードセンターツインタワーが完成したのはこの本が書かれて6年後のことなので、悲しいかな当時の街の地平線は今と変わりません。5番街のオルベッテイーの店の外のスタンドには、クローディアが手紙を書くのに使ったタイプライターは今ではありません。(オルベッティーのタイプライターと言うだけで私には懐かしい響きがあります。オルベッティーではありませんが骨董品のタイプライターを私は今も所蔵しています。)また二人が"Angle" の謎を調べるために行った53番通りの図書館で使ったカード目録ももうありません。

メトロポリタン美術館はどんどん大きくなり、5番外の正面入り口も一新されました。当時は無料だった入場料が今は違います。メトロポリタンで二人が眠ったあのベッドはなくなりました。二人がお祈りをした小さなチャペルは閉鎖されました・・・などなど、興味深く読みました。

ところで余談ですが、私は4年ほど前、ニューヨークに行った時メトロポリタン美術館を訪れています。入場料は確かにありますが、実のところは suggest (提案)されているもので、自分の懐具合にあわせて払うことができるのです。ニューヨークに住んでいた友人はいつも1ドルくらいで入っていたみたいです。メトロポリタン美術館は本当に巨大です。そしてニューヨークもひたすら巨大でした。

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2009年8月 9日 (日)

"The Soloist" その2

Soloist


"The Soloist" by Steve Lopez
出版社 Berkley
300ページ

以前、この本のイントロの部分の紹介をしているので若干重複する部分もあります。

作者はロサンゼルス・タイムズ(新聞)のコラムニストであるスチーヴ・ロペス。コラムのネタを求めて東西奔走していた彼はある日ロサンゼルスのダウンタウン路上で、ぼろをまとい陶酔しきってベートーベンを弾いている黒人のバイオリニストに遭遇する。お金のために弾いている様子も全くない。よく見ればバイオリンに弦は2本しかなかった。男の名はナサニエル・エアーズ。かつてはジュリアード音楽院の学生だったとわかる。

35年経った今もジュリアードに残されたナサニエルの記録をひも解けば、そこには前途有望な夢と才能にあふれた若き音楽家の姿が見えた。同級生にはヨーヨー・マがいたが、二人は同じオーケストラでともに演奏していたこともあったのだった。彼がジュリアードから脱落した理由は統合失調症、かつては精神分裂と呼ばれた精神病を発症したことだった。

この本を読み統合失調症というのがどういうものか知ることになりました。大変複雑な病気で治療に必要なのはひたすら周囲の忍耐です。ロペスはコラムのネタを求めて彼に近づいたのだが、強く彼に惹かれやがて仕事の範囲を超え、路上生活から彼を救い、病気を治したいと思うようになります。そのことにより彼の人生は思わぬ忍耐と苦渋を強いられることになります。

ナサニエルが発病した1970年代当時の精神病患者に対する扱いは手錠、薬物、幽閉と言ったものでした。あくまでも路上生活に執着するナサニエルを自分の意志で建物の中に入れようとすることは賽の河原で小石を積むが如くでした(ちょっと比喩が純日本風になってしましましたが)。一歩前進の勝利の後に来る落胆。ロペスが勝利の感動に浸る時、私も全身鳥肌が立つ感動を覚え、またその後に来る落胆や失望には共に打ちのめされる思いでした。

この本の中で特筆すべきは二人の間に育っていく友情です。この二人の間にはいわゆる普通の会話というものはありません。住む世界はあまりにかけ離れているからです。

・・・・Come to think of it, Nathaniel and I don't really have conversations. Mostly he talks or plays music and I listen. He can't relate to my world and I have trouble relationg to his.

And yet for all that, he's changed my chemistry, too.

No, we don't have too many so-called normal conversations. Buyt what's normal? I hold his hand in mine, and neither os us needs to say a thing.・・・・

という部分があります。二人が互いに共感するところはない、しかし、すべてを超越し包み込むような友情の深さに心を動かさずにはいられません。

ナサニエルを救おうとするうちに、ロペスは自分自身が救われるのを感じます。彼の中で何かが目覚めていきます。ナサニエルにとって音楽は神であり、愛であり、彼の存在のすべてだ。そのひたむきな姿の中に、自分の信じるものに対し自分を捧げて生きるという人間としての尊厳を学ぶのでした。

ロサンゼルスとと言えばアメリカ第二の都市ですが、その華やかな市中心部にスラム街があると言うアメリカの暗黒の一面を見ました。街には精神病患者、麻薬、暴力、犯罪があふれています。文面からもスラムのすさまじい様相が伝わってくるのですが実情はいかばかりでしょう。ナサニエルのコラムを読むことにより人々の関心が高まり、事態は少しずつ向上してきたと言うことですが、まだまだ道のりは遠いようです。そしてこの二人の行く手にもまだまだ困難が待ち受けていることでしょう。

この本は実話です。作り物にはない実話の持つパワーに、一つ一つのエピソードの重さがずっしりと伝わってきます。

もう一つ驚くべきことはナサニエルが正式にジュリアードで学んだ楽器はコントラバス(string bass)でした。ロペスの書いた路上のバイオリニストのコラムに感銘を受けた人達が彼にバイオリン、チェロ、ピアノなどを送ってくるようになりました。どの楽器でも彼は弾きこなしてしまうのです。この病気がなかったら彼はおそらくヨーヨー・マと並ぶ音楽家になっていたことでしょう。本の最後の方で彼は約30年間ぶりにコントラバスとの再会を果たします。

・・・"This is huge,"Mr. Ayers says, getting reacquainted after roughly thirty years of playing violin and cello.
He's right. The bass is so big it makes him look tiny, like the kid who fell in love with the instrument in Mr. Moon's middle school music class.

I've waited almost two years to hear this," I tell him.・・・

この最後の部分も実に良かった。鳥肌が立ちました。この本は私にとってかけがえのない1冊になりました。

ロペスの簡潔で洗練された無駄のない美しい文体は私はとても好きなのですが、出てくる語彙もレベルが高いものが多く、ある程度ペーパーバックを読みなれた方にお勧めの一冊です。すでに映画化され、日本語の翻訳も出ているようです。

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2009年7月31日 (金)

being stupid and being in love

"Were you in love with her?"
"I think that's what they call it." "I was stupid."
"Maybe being stupid and being in love are the same thing."

「彼女を愛していたのか?」
「そうだと思う」「私は愚かだった。」
「多分愚かであるということと愛するということは同じことなのだろう」

"The Soloist" の中のセリフです。「愛」のかわりに「恋」と訳した方がよいのかも知れませんが。

ある精神病患者とドクターの間で交わされる会話の一部です。愚かであることと愛することは同じことかもしれない。妙に心に残りました。

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2009年7月17日 (金)

"The Soloist"

"The Soloist" by Steve Lopez
出版社 Berkley
300ページ

最近読み始めたペーパーバックです。実はまだ300ページ中63ページ辺りをうろついています。

前に何度も触れている"The Diance Rehm Show Podcast"という番組で、この本の著者のインタビューと本の紹介があり、大変興味を持ちました。放送を聞いたのは今年3月で、聞いた後すぐ調べてアマゾンで注文しましたが、しばらく「積読」になっていました。我が家には積読状態の本がごろごろしています。興味を持つといずれ読みたいと思って買っておくからです。

この本は読みやすそうに見えて、意外と難しい単語がオンパレードでいつになく辞書を引きまくっています。作家によって好んで使う語や書き方の癖もあるので、読み進むうちに慣れて楽になることを期待しながら読んでいます。

物語はこのように始まります。

ロサンゼルス・タイムズ(新聞)のコラムニストであるスチーヴ・ロペスが路上で、ぼろをまといおんぼろのバイオリンで陶酔しきってベートーベンを弾いているホームレスの男に遭遇する。スチーヴは音楽家ではないが、男の奏でる音楽は素人のものではないことが分かった。しかもよく見ればそのバイオリンは弦がたった2本しかない。お金のために弾いている様子も全くない。男の名はNathaniel。やがて彼はかつてはジュリアード音楽院の学生だったとわかる。(ジュリアードと言えばアメリカの名門音楽学校)。「また来る」と言い残して、二度目にスチーヴがこの場所に戻ってきた時に、Nathaniel はそこにいなかった・・・

これがイントロ部分です。この物語は実話です。実話にはパワーがあります。読みながら圧倒されます。スチーヴが新聞に書いた路上の音楽家についてのコラムは大変な反響を呼び、ここから二人の運命は大きく変わっていきます。この本も全米で大きな反響を呼びすでに映画化されているようです。

私が番組を聴いたときはペーパーバックが出版されたばかりの時だったので、映画化は大変スピィーディーだったと思います。(ハードカバーではもっと前に出版されていたのでしょうけど。)Nathaniel のこの物語がいかに人々に感銘を与えたかがこのことによっても伺われるのではないでしょうか

読書の中間報告でした。

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2009年7月 8日 (水)

"something borrowed"

本を読むにしてもテレビを見るにしてもその背景となる文化を知らなければ、完全に理解するのは難しい。文化を知るということは物事を2倍にも3倍にも楽しめるようになるということです。以前、"something borrowed"というタイトルのペーパーバックを読んだことがあります。私のベッドサイドストーリーとして読んでいたもので英語が簡単で楽に読めるものでした。

ところがその時にはこのタイトルの意味は全然分かっていませんでした。もちろん文字通り「何か借りたもの」というのは分かりますが、それが何を意味するかはただ想像するだけでした。おそらくは「主人公が借り物ではなく自分の手でつかんだ幸せ」ということを意味しているのだろうと思っていました。

が、実は"something borrowed"という言葉はアメリカで結婚の時に花嫁が幸せになるために身に着けるものだったのです。アメリカ人なら誰もが知っているだろうことを私は知らなかった。(イギリスや他の英語圏ではどうなのかはわかりません。)

"Something old, something new, something borrowed, something blue."

というフレーズの一部だったのです。これを知ったのは私がポッドキャスト配信してもらっている「大杉正明のCross Cultural Semiar」という番組の2009年3月6日号の「第118回 結婚式の迷信について」の中ででした。

何か古いもの・・・たとえば自分の母親が着たウエディングドレスや宝石など。何か新しいもの・・・たとえばアクセサリーなど。何か借りたもの・・・番組で大杉正明先生のパートナーを務めるスーザンさんは姉から借りたイヤリングを実際に身につけたそうです。何か青いものはハンカチやガーターなどがポピュラーだそうですが、ガーター着けるんですか・・・と久々に聞いた言葉ににちょっとびっくり。大杉先生、番組中それを聞いてちょっとおたおたして心拍数が上がってました。ちなみにペーパーバックの上記タイトルの続編が "something blue" でしたが、これもこのフレーズの一部だったんですね。

知らなくても "something borrowed" を読む上で支障はなかったけど、文化的背景知識があるというのは何だか大きく違う。根本が違ってくるような気がします。こんなことってきっといっぱいあるんだろうなと思います。

「大杉正明のCross Cultural Semiar」はNHKラジオの「実践ビジネス英語」で金曜日に出演しているスーザン岩本さんがお相手を勤めています。英語が半分、日本語半分。英語が大変分かりやすく聞きやすく、1週間に1度、時間は10分前後で、毎回さまざまな側面から日米の文化の違いを話しあいます。私のお勧めのポッドキャストの1つです。

私は大杉先生の番組、NHKラジオ「ものしり英語塾」のリスナーでもあります。ゲストのおもしろい話が聞けるのが楽しみです。こちらは欠かさず聞いていますが、ラジオとポッドキャスト、欲張ってあまりにいっぱい登録しすぎて全部聞くのはもう到底不可能状態になっています(゚ー゚;

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2009年5月13日 (水)

"Dewey"

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"Dewey" by Vicki Myron
出版社 Hodder
277ページ

昨年11月に、"The Diane Lehm Show"というラジオ番組のインタビューで"Dewey" のことを初めて知りました。ここでは何度も書いていますが "The Diane Lehm Show"は私の愛聴している番組で特に話題の本の著者を招いてのインタビューが気に入っています。

この番組を聴くまでは "Dewey"(デューイ)という猫の存在を全く知らなかったのですが、実は日本のテレビでも紹介されたそうで、周りの人に聞いてみたら結構その番組を見たことがあるという人がいました。インタビューが大変おもしろく興味を持ったのでその直後、この本を読みたいと調べてみたのですが、当初はハードカバーしかなく、ペーパーバックになるのを待ってついにこの春入手しました。

アメリカはアイオワ州のスペンサーと言う小さな町の図書館で暮らしていた猫の一生についての話です。氷点下の凍てつくある寒い朝、当時図書館館長を務めていた Vicki さんが、返却ボックスに返された大量の本の間に子猫を見つけるところからストーリーは始まります。足は凍傷で真っ白になっりすっかり凍えきった子猫を抱き上げた瞬間、 Vickey とこの猫の人生(と猫生)は大きく変わります。日本では考えられないことだと思うのですが、この猫が図書館猫としてこの図書館で飼われ、次第にこの町の人々の心をつかみ、癒し、感動を与えることになるのです。

この町だけではなくデューイの評判はアメリカ中、そして世界中に広がりました。新聞・雑誌・ラジオなどデューイを紹介する記事や番組は数知れず。日本のテレビ局がはるばる地球の裏側からやってきて大騒ぎしながら撮影をしていったにもかかわらず、いい所が全部カットされわずか1分半の放映になってしまったとかで、人々はあっけにとられたようですが、それでもスペンサーの人たちの語り草となっているようです。私はこの部分を読んで苦笑です。本当のデューイの姿はちっとも伝わっていないんだなと。

表紙の写真は彼が2歳11ヶ月の時のもの。カメラ目線で小首をかしげたその姿は愛らしく、美しく風格があります。この姿だけでも人々の心を捉えるに充分だと思いますが、彼の図書館猫としての存在意義はそれだけではありませんでした。彼は毎朝図書館に来る人々を入り口で向かえ、人々の邪魔をすることなく、しかし彼の存在が必要な人がいればそばにさりげなく寄り添う。自分の職務を心得え毎日着実に遂行する。さまざまなエピソードを読むに付け彼は本当に特別な猫だと思いますが、特に偉業を成し遂げたから特別なのではなくデューイ自身が特別な存在なのだと著者のビッキーさんは言います。そして彼にはカリスマ性があると。

作者のビッキーさんはアルコール中毒の夫と別れてシングルマザーとして生きてきた人で、彼女の人生にとってDewey はかけがえのない存在になりました。この本はデューイの本でもありますが、ビッキーの本でもあります。インタビューの中でも言っていましたが、デューイはビッキーに遣わされ、ビッキーはディユーイに遣わされた。猫であれ犬であれ、もしかしたら人との出会いもそういうものなのかも知れないと思います。

彼が年老いて亡くなったときには270社の新聞でその死亡記事が載せられ世界中から送られた手紙・カード・メールは大変な数にのぼりました。デューイがどれほど多くの人々の心に触れてきたのかを改めて思わずには入られません。

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2009年2月19日 (木)

"The Shop on Blossom Street"

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"The Shop on Blossom Street" by Debbie Maccomber
出版社 Mira
408ページ

読み出したらなかなか止められず一気に読んでしまいました。ページ数も大分あり、文字も細かめでしたが、英語の文体も語彙も易しかったので、のめり込んで超スピードで読み終えました。これには続編、続々編まであるようなのでぜひともすべて読みたいと思っています。

シアトルのブロッサム・ストリートに "A Good Yarn"と言う小さな毛糸屋さんを 開いた Lydia 。そこで初心者向けの編み物教室を始めます。そこに生徒として集まってきた女性3人と Lydia 。生まれも育ちも年齢も(下は20代上は50代)生活レベルも環境も何もかもが全く違う、まるで接点のない4人の女性が、この教室で出会いともに過ごすうちに次第に友情を育んでいきます。

51章からなるこの本の1章1章には4人の女性の名前が交互にタイトルとして挙げられています。各章ではその女性の話が中心となって語られながら、それぞれが絡み合い、見事に全体として話が進展していきます。ちょうど4人の女性の人生模様が交互に編みこまれて1篇の作品となったかのようです。

ちょうど話が盛り上がり「この先がもっと読みたい」と思うところで話が次の女性に変わる。ちょうど続きが気になるところで終わる連続ドラマのような感じです。話がどう進展するか知りたくて先のページをめくってみても、章とともに話が進展しているので読み飛ばすわけにもいきません。この巧みな手法で読者は最後までひきつけらるのかもしれません。

4人の女性の人生それぞれに共感したり、一緒に泣いたり笑ったり。もう私もシアトルに飛んで行って仲間に入れてください!って気分です。私も編み物始めるべき?(ちなみに機械編みはその昔相当やりましたが、手編みはまだろっこしくてせいぜいマフラーくらいしか編んだことがありません。)

ところでペーパーバックを読むのは英語の勉強でもあり楽しみでもあり一石二鳥と思っていますが、特に勉強としては自分が実際に英語を書いたり話したりする時に使える表現や単語をピック・アップ(聞き覚える・見覚える)したいという意識を常に持って英文を読んでいます。こういう読み方をすると確かに読む速度はスローダウンしてしまいますが、いたし方ありません。まあ、あまりおもしろいとつい読み飛ばしてしまうこともありますけどね。さて、第2作目の "A Good Yarn" 注文しなくっちゃ!

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2009年2月12日 (木)

"A Little Princess"

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"A Little Princess" by Frances Hodgson Burnett
出版社 HarperFestival
322ページ

子供が小さかった頃、世界名作劇場で「小公女セーラ」をやっていましたが、当時子供たちと一緒に夢中で見ていたものです。今回はその原作の"Little Princess" を読んでみました。テレビでの細部は忘れてしまいましたが、原作とはかなり違っている部分があり、特にエンディングは大分違っていたようです。その良し悪しはともかく、私としてはこの本に限らず、好きな本が映画化、テレビ化されると聞くとかなり心配になります。できるだけ原作に忠実に再現してもらいたいのです。「原作者の意図はどうなる!!」と叫びたい心境に駆られます。

この本は児童文学のクラシックで、私の大好きな"The Secret Garden" の作者の手になるものだということで、懐かしくもありオーディオブックサイトで朗読されているものをすでに聴いていました。そういうわけで、どのページを見ても「前に読んだことがある」と思うものばかりだけど、1ページずつ確認するように読むのはまた楽しい過程でした。少女趣味かもしれないけど、こういう"Fairy Tale" のような話はとても好きで、感動します。特に気に入った章は一人で朗読をしてみたり。最後の3章くらいはもう感動で涙なしでは読めません。

児童文学はメッセージがストレートに伝わり、単純な私の脳にピッタリとフィットするのかもしれません。
ロンドンの寄宿学校の特別室で優雅な暮らしをしていたころ、学校の下働きとしてつらい毎日を強いられていたベッキーに彼女は言います。

"Why, I am only a little girl like you. It's just an accident that I am not you, and you are not me!"
「私はあなたと同じただの女の子よ。私があなたでなくてあなたが私でないのは偶然(アクシデント)のことなの。」(こう言った時、「アクシデント」ということの意味をベッキーは理解できなくて、はしごから落ちて病院に運ばれたりすることかしら・・・と思ったりするのですが。)

セーラはお話を作ったり、何かの「ふりをすること」が好きな女の子で(後書きによると作者自身が生まれながらのストーリー・テラーで、子供の頃からお話を作っては人形を使って演じたりしていたということです)、特に「プリンセス」のふりをするのが好きだった。それはプリンセスのように高貴で、良い行いができるようにするためのものだったのです。美しい服を着て、優雅な物腰のセーラはまさにプリンセスのようだったけど、父親の死により一転、態度を一変させたミンチン学院長に屋根裏部屋に押いやられぼろを着せられ女中暮らしをさせられるようになってからも、セーラは心の中ではプリンセスでいようとします。

セーラの父親の友人に見つけ出され、再び裕福になったセーラに、院長のミス・ミンチンが最後に皮肉たっぷりに「再びプリンセスになった気分なんでしょうね。」と捨て台詞を言った時セーラは、こう言うのです。

"I--tried not to be anything else, even when I was coldest and hungriest...I tried not to be."
(私は他の何ものにもなるまいとしたのです。どんなに寒くてひもじかった時でさえも・・・他のものにはなるまいと。)

ここは最も好きな台詞の一つです。

またミンチン女史が、おろかにも金持ちになったセーラを取り戻そうとして "I have always been fond of you."(「私はいつもとあなたのことを好きだったんですよ」)と言った時に、"Have you, Miss Minchin?""I did not know that."(「そうだったんですか、ミンチン先生。知りませんでした。」) と返すところも気に入っています。単純だとは思うんですが、水戸黄門の「この紋所が目に入らぬか!」とか遠山金さんの「この桜吹雪が目に入らぬか!」みたいな感じですね。正義は勝つ、悪は滅びるという単純な図式がやはり気分がいいんです。

YouTubeで映画版を見ましたが、設定がロンドンからニューヨークに変えられていたりしてがっかり。エンディングも天敵の Lavinia が何故かセーラと抱き合って笑いあうなんてわけのわからない場面があったりしてあまりの変貌ぶりにがっかりしています。

英語のレベルとしては大変読みやすく、"The Secret Garden" よりさらに易しい英語で書かれていて、ペーパーバック初心者でも楽に読めるのではないかと思われます。ただ書かれたのが100年以上も昔なので、なじみのない物や単語などが出てきます。

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2009年1月23日 (金)

"Finding My Voice"

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"Finding My Voice" by Diane Rehm
出版社 Capital Classics 
248ページ

昨年末にアマゾンに注文していたDiane Rehm さん著 "Finding My Voice" は、アメリカからの取り寄せだったようでお正月明けにようやく到着しました。

以前、何度か Diane Rehm がホストを務めるアメリカ公共放送番組 "Diane Rehm Show" について書いたことがあります。私は現在ポッドキャストで配信してもらっているこの番組のファンとなっています。とは言っても毎日2時間の番組をしっかり聴くのは容易ではないので、関心のあるトピックを扱っている時、特に後半1時間の話題の本の著者インタビューの方を聞くようにしています。(前半1時間と後半1時間は別々に配信されてくるので実際どちらが前半でどちらが後半なのか確かにはわかってないのですが)

"Finding My Voice"というこの本は Dianeの自叙伝で、子供の頃母親から受けた体罰や心理的虐待のこと、また子供時代の体験がどんな風にその後の彼女の人生に影響を与えてきたかということ、最初の結婚、二度目の結婚、そして2,3人のスタッフで運営されていた小さなラジオ局のボランティアとして始まった彼女のラジオ・トークショーのキャリアがどのように今日のように全米に配信されるものへと発展したか等が書かれています。

彼女の番組を聴くと、政治・経済・医療・文化・芸術・その他ありとあらゆる分野をカバーする知識の幅広さに驚嘆せずにはいられません。もともと頭の良い方だったのは確かですが、ラジオ番組でのゲストへの的確な質問、巧みな会話の進め方は、ひとえに膨大な量の資料の下調べという努力の賜物です。充分に情報を得て事情に通じてインタビューをするというのが彼女の信じるスタイルです。(一方CNNのテレビ番組を視聴していた頃は私は "Larry King Live" をひいきにしていましたが、彼の場合 は事前の知識を持たずにインタビューするというやり方のようです。)

また、トークショーのホストでありながら、「痙攣性発声障害」(spasmatic dysphonia)という声の病気にかかってしまい、正しく診断されるまでに費やした長い年月と苦闘の経緯が描かれています。私が初めて彼女の震えるような声を聞いたとき「魔法使いのおばあさん」といった印象で、年齢によるものと思っていましたが、この病気になる以前の本来の声とはかなり変わってしまっているようです。この病気には対処療法はあっても治療法がないということなので、おそらく今もボトックスによる療法を続けながら仕事をされているのだと思います。

この本の最後の方に、何事もタイミングがすべてである、偶然というものはなくすべてに理由があり、自分が経験したことが今日の自分があるゆえんである、こんな病気にならない方が良いに決まっているけれど、この病気のお陰で得られたものもあると書いていますが、その通りかもしれません。

この本が書かれたのは1999年。書かれた当時で62歳。そこからさらに10年が経過しているので、今や72歳ということになります。高齢化が進むにつれ、より成熟した大人の声を聞きたいと望む人もたくさんいるだろうし、また率直で単刀直入な質の良いトークが聞きたいと思う人がいる限りできるだけ長くこの仕事を続けていきたいと述べています。私もそういう声が聞きたいし、内容のある番組が聞きたいと思う一人であり、Diane さんにはできるだけ長生きをしていただいて、長く続けてほしいと思っています。日本でDiane Rehm さんのような存在はテレビでもラジオでもいないのではないかと思います。「徹子の部屋」の黒柳徹子のような存在もありますが、Diane の番組はありとあらゆるトピックを扱っているし内容も対象も狙いも違っています。またテレビよりラジオの方がリスナーの内容への集中度合いが高いという傾向があります。

外見的なことですが、写真を見ると本当に素敵な女性で、若い頃は一時モデルもしていたくらいで大変美しく、年を重ねてもさらにその輝きを増し、知的で好奇心にあふれる姿に感動です。

英語に関しては、語彙や文章のレベルは高いですが、分かりやすく書かれていると思います。

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2009年1月 4日 (日)

"Of Mice and Men"

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"Of Mice and Men" by John Steinbeck
出版社 Penguin USA (P
112ページ

新年早々に痛めた腰がまだ治らず、また今日も一日寝たきり生活で、正月休みも終わりを告げようとしています。

今日はスタインベックの"Of Mice and Men"(二十日鼠と人間)を読破しました。近年、あまり深刻な小説は気分が沈むのであまり読む気にはなれないのですが、体が思うように動かず、手近にあったこの本を読むことにしました。

大男で力はあるが脳が足りなくて子供のようなLennieと、小柄で知恵のあるGeorgeが主人公です。いつかは自分たちの農場を持つという夢を抱きながら、農場から農場へと働きながら一緒に旅をしています。有名な小説なのでストーリーは省きます。

Lennieの子供のような純真さに心が打たれるというか、心が痛むというか。そしてラストシーンはやるせなく胸をつかれるものでした。

107ページと短い小説ですが、何しろ字が細かい。会話部分は発音のままに書かれていて、辞書にないものも多数あるので英語はそれほど読みやすくはないかも知れません。

さて、今日で正月休みも終わりです。2冊本が読めて良かったなあ。

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2009年1月 3日 (土)

The Secret Garden

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"The Secret Garden" by Frances Hodgson Burnett
出版社 Trophy Pr; Reprint版 
384ページ

以前から読みたいと思って本棚に座りっぱなしだった "The Secret Garden" (秘密の花園)をこのお正月に読みました。

フランシス・コッポラ監督の映画は2,3度見たことがあり、またオーディオ・ブック(ここでダウンロードできます)ではすでに何度も聞いていたのですが、今回かねての念願どおり原書で読めて感動を新たにしています。

主人公は Mary という10歳の女の子。インドで召使にかしずかれ何不自由のない暮らしはしているものの両親の愛には恵まれない。その両親をもコレラで亡くした Mary はイギリスのヨークシャ地方のお屋敷に引き取られることになる。気難しくわがままでこの上なく感じの悪い子供だった Mary が、陽気なメイドやその弟、母親、コマドリや庭師たちとふれあうことにより、またヨークシャの自然にふれ、10年間閉ざされていた庭を見つけその庭を生き返らせることにより癒され、学び、子供らしさを取り戻していくという話です。さらに Colin という病弱で愛に恵まれずMary に負けず劣らずわがまま放題だった男の子が Mary と出会い「秘密の花園」から生きる力を得て次第に元気になっていきます。

周りの人たちへの憎しみでいっぱいだった Mary が次第に心を開きをどんどん子供らしくかわいらしくなっていく様にひきつけられます。美しい庭の様子やヨークシャの自然が描写されており、自然の持つ生命力のすばらしさを感じます。ヨークシャの美しい自然を実際にこの目で見てみたいです。

映画は原作とは変えられてしまっている部分や省略されている部分があり、全てが再現されていないのは残念なことです。

原作の英語は比較的易しいものだとは思いますが、ヨークシャ訛りの部分は「読んで」はだめで、「聞く」事が必要です。発音のままに書かれていたりするからです。読まないで音を頭に響かせるとわかり易くなります。また、

you は tha や thee(目的格)なり、we は主語でも us になったりします。
before は afore に
must は mun に・・・

など、普通の英語と違っているところがたくさんあります。

お正月早々、ぎっくり腰になってしまいました(とほほ・・・)横になりながらかなり厳しい姿勢で読みましたが、読めて良かったです。普段はやらないのですが、知らなかった単語は片っ端から調べてノートに書き出し語彙を増やすことにしました。ぎっくり腰で寝ている身には苦労でしたが、日本語でも良く知らない花の名前が多かったなあ・・・

今年は「語彙増強年間」にするのが私の目標です。

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2008年9月30日 (火)

「最後の初恋」

「最後の初恋」 "Nights in Rodanthe" を見ました。リチャード・ギアとダイアン・レイン主演の映画です。

たっぷりロマンチックな気分に浸り、今も切なくやるせない気持ちが覚めやらぬ私。私は特にリチャード・ギアのファンだったわけではないけど、ちょっと年取ったこのリチャード・ギアがとっても良かった。今完全に fall in love 状態です。安っぽい恋愛モノは実はそれほど好きにはなれない私ですが、「どうせ作り事」と思いながらも感動しました。ああ、私もあんな恋がしてみたい・・・ただどうせ作りものならハッピーエンドにしてもらいたかったなあ。

この映画の原作が Nicholas Sparks というのを知って納得です。この作者のペーパーバックはこれまでに2冊読んでいます。1冊は"Walk to Remember" 泣ける純愛小説でした。10代の男女が主人公で、単純なストーリーながら筆者のテクニックに引き込まれ一気に読んでしまった作品でした。

もう1冊は"Message in a bottle"。こちらは大人のラブロマンス。展開がスローでかったるくて最初の方、飛ばし読みした記憶があります。「こんなこと現実にあるわけないでしょ」等と思いつつ読みました。二冊とも易しい英語で書かれていて、割と大きな字で字間もあいているので読みやすく、ちょっとばかりロマンチックな気分に浸りたい時にちょうどよいペーパーバックです。私は"Walk to Remember"の方が好きだったけど、私の友人で"Message in a bottle"を読んでものすごく感動していた人がいました。

ところでこの映画の中で、"One weekend changed my life forever."って言うリチャード・ギアの台詞があったのですが、「どっかで聞いたような???」と思っていたら、"Walk to Remember"の初っ端にこういう台詞がありました。"When I was seventeen, my life changed forever."

この作者の作品はどうやら同じような言い回しが繰り返されているのかもしれないですね。

あ、それから、映画を見ながら思ったんですが、リチャード・ギアって小泉元首相によく似てる。若い頃はわからないけど、年取ったら似てきたのでしょうか。この二人が私の中で完全にダブっています。いい男は似るのかな?

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2008年6月29日 (日)

"Alice's Adventure in Wonderland"の言葉遊び(その2)

アリスの言葉遊びについて再び。

「言葉遊び」とは平たく言えば「洒落」のこと。最近では「駄洒落」とか「おやじギャグ」と呼ばれてますが、洒落を理解するには語彙が豊かでなくてはなりません。オーディオブックでさんざん聞いていても理解できてなかったところをいくつか英語の原書と日本語の翻訳本をつき合わせてみると、洒落のオンパレード。全部聞いてすぐわかるようなら相当英語の語彙力があると言うことになるでしょう。やっぱり、難しいわ・・・

今から10年以上も前にサンフランシスコに旅行した時、ミュージカル・コメディを見に行く貴重な機会がありました。内容は全然知らずに行ったのですが、「シンデレラ」のパロディで主人公が理想の王子様を探しに世界中を旅するというお話でした。それこそ洒落と風刺で構成されているようなミュージカルで、おそらく半分も・・・いや三分の一も・・・いや四分の一も・・・理解できていたかどうか怪しいものです。洒落がわかればうれしくて必要以上の(?)大笑い、周りが笑っているのに自分だけわからない時はずいぶん口惜しい思いをしました。

覚えている駄洒落を一つ。「シンデレラ」が日本に行くと、とてもすてきな彼氏を持っている「メイド(maid)」に会います。「どうしたらそんなすてきな彼が見つけられるの?」と聞くと、"Because my boyfriend is・・・made in Japan, made in Japan・・・" (だって、私の彼は日本製・・・)とか言って踊り出す・・・という具合。スペルは違うけど音は同じメイドです。今改めて思い出してみるとメイドさんはメイド・カフェのメイドみたいな格好をしていました。日本製品が優れているとアメリカ人が認識しはじめたのはいつごろのことだったか私は忘れましたが。今はホンダ゙の車などよく見かけます。

英語だけではなくて、当時の政治や風潮を揶揄する内容でもあり、政治家や有名人(をパロったもの)がたくさん出演していたので、そういう方面もわかればおもしろく、わからなければさっぱりというものでした。

洒落、風刺、パロディを理解するにはそれなりの知識と教養が必要なのです。まだまだ道は遠いなあ。

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2008年6月28日 (土)

"Alice's Adventure in Wonderland"の言葉遊び

"Alice's Adventure in Wonderland"(「不思議の国のアリス」)をウォークマンで何度となく聞いていますが、子供向けに書かれたものとは言っても、英語がやさしいかと言うとそういうわけではなく、一筋縄ではいかないところが多々あります。大人になってからぜひ原書で読んでみたいと思い、いざ手に入れてみると実は思ったより難しくてがっかりした記憶があります。

それが20年くらい昔の話です。それ以前は原書自体あまり読んだことがなかったので、当時は自分の英語力の不足のせいだと思ったのですがそういうわけでもなかったのでしょう。今考えると大人向けの読み物でも「アリス」よりずっと易しいものはいくらでもあるし、新聞記事などはもっと楽に読める。

最近また茶色く変色した原書を取り出して(ペーパーバックは紙質が悪いのですぐ茶色く変色します)、聞き取れない部分を確認したり、それでもわからないところを知りたくて、ネットで日本語訳を探したり、ブックオフで文庫本の訳本を買ってきたりしました。それでわかったのは「アリス」には数多くの翻訳者がいて、それぞれに訳し方が大いに違っていることです。人によってこうも違うのかと驚くばかりです。私が子供の頃に読んで夢中になったのは誰の手になる翻訳版だったのでしょう。

アリスには「言葉遊び」がたくさん出てきて、それがわかればおもしろいところでもあり、わからなければ「???」と混乱するところでもあるのですが(日本語でも同じだけど)、ウォークマンで朗読を聴きながら「ここは一体どうやって日本語に訳しているのだろう?」と考えていた部分を早速いくつか調べてみました。たとえばこんな部分です。

アリスがねずみに「どうしてねこと犬が嫌いになったのか」を話してくれるように頼む場面があります。ねずみは答えます。
"Mine is a long and a sad tale!"(「私のは長くて悲しい話 (tale) だ」)・・・・・・

・・・・・・"It is a long tail, certainly,"said Alice, looking down with wonder at the Mouse's tail;
(「確かに長い尾 (tail) ね」とねずみの尾 (tail) を見ながらアリスは言いました。)

ここでは tale=お話 とtail=尾 がかけられています。

私の買ってきた本には「話」と「尾」の横にカタカナで「テール」と振り仮名がつけてありました。ジョークの解説はされてもあまりおもしろくないと思うけど、仕方がないのでしょう。ネットで見つけたある翻訳ではこのようになっていました。

「確かに長い『尾話し』ね。」
これはなかなかすばらしいアイディアだと思いましたが、全ての部分で大成功というわけにはいかず、やっぱり英語で読んでこその言葉遊び、英語のまま読んでこそおもしろいのだと再確認しました。

なお、"Alice's Adventure in Wonderland"のオーディオ・ブックはこちらで聞くことができます。バックの音楽もすごくいいですよ。

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2008年1月15日 (火)

「赤毛のアン」

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お正月にNHKで「ようこそ赤毛のアンの世界へ」という番組が放送されましたが、それを録画してとっておいたものを最近見ました。私は中学生の時に初めて「赤毛のアン」を読んですっかりアンに見せられ虜となった一人です。続編のアンシリーズも全部揃えて夢中になって読んだものです。

その後何十年、再び本を開くことはなかったのですが、1年半から2年ほど前、松本侑子さんが英米文学からの引用を解説した訳注つきの全文訳「赤毛のアン」を出したことを知り、その訳本を買って読んでみました。おもしろくなかったらどうしよう・・・と思いながら読み始めたけど、全くの杞憂。大人になった今でも昔と同じようにワクワクし最後まで楽しく読むことができて、そのことが何だかとってもうれしかった。

「赤毛のアン」は一般に児童文学、少女小説と思われていますが、松本侑子さんによると作者のモンゴメリは子供向けに書いたわけではなく、大人の鑑賞に充分堪える文学だと言います。英米文学や聖書からの引用が驚くほど多く、文学に造詣の深い人で原典・出典を知る人ならば作者モンゴメリの知識の広さ深さに驚かずにはいられないとも聞いています。

子供が読んでもおもしろいけれど、大人にはまたきっと大人なりの読み方があり違う発見ができるのだと思います。そこで私はこの際原文も読んでみたいと思い、同じく1年半ほど前に "Anne of Green Gables" をゲットし初めて原書で読んでみました。なじみのあるアンの台詞やいろいろな言い回しが原文ではどんな風に書かれているかを見るのはとても興味深く楽しいことでした。それにしても台詞はともかく、実際風景の描写などは表現が凝っていて英文が難しい。

その後またじっくり読もうと思いながら、あっという間に時間が過ぎ去りました。人生は何もしなくても無残にも時間はどんどん過ぎていくのですね。

そこで今年は「赤毛のアン」をじっくり読み返すことにしました。昔読んだ村岡花子訳バージョンと松本侑子訳バージョンと原書を比較しながら、ゆっくりと読み返しすてきな言葉や表現を堪能してみたいと思います。実は1年半前に自分のホームページの中に「赤毛のアン」と言うページを作ったものの、先に進まず止まったままになっているのです。何とかしなくちゃ・・・何でもすぐ飛びつくけど後が続かない。困ったくせです。

またこの物語の舞台となったプリンスエドワード島にはいつか必ず行ってみたいと思います。以前から行きたいと漠然とした憧れは持っていたけれど、おそらく旅費がとてつもなくかかりそうだし夢のまた夢ではないかと勝手に決めつけていたのです。新春の番組を見た後、ネットや本屋で調べてみたところ何だか行けそうな気がしてきました。

写真は1年半前に見つけた函館の「グリーンゲイブルズ」。赤毛のアンをイメージして作られたカフェです。オーナーはきっとアン好きが高じてこうなったのでしょうね。「好き」という気持ちを大切にしてついにこんなもの作っちゃったこのオーナーはすばらしいなあと思わずにはいられません。二人で一緒に撮った写真をここでお見せできないのが残念ですが、「私がアンです!」って雰囲気が漂ってました。好きなものを好きとこんな風に主張できるなんて、ホントにすごいことです。ここで食べたアップルパイは信じられないほどおいしかったです。以来、ここのアップルパイよりおいしいものにはなかなかお目にかかれません。アンのレシピだったのでしょうか。右の写真はグリーンゲイブルズの前。ここに行った時も「いつかはアヴォンリーのグリーンゲイブルズに行きたい」と思ったものです。

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2007年11月24日 (土)

「ジーキル博士とハイド氏」と「ビリー・ミリガン」

私のかつての英会話の生徒さんで大変な読書家の方がいるのですが、その方が一年ほど前にもう読まなくなったからと紙袋いっぱいの本を下さいました。その中の一冊が「ジーキル博士とハイド氏」でした。私が初めてこの本を読んだのは多分中学生の頃だったと思いますが、非常に興味深くもあり怖くもあり衝撃的でもあったということを覚えています。

「ジキルとハイド」と言えば二重人格の代名詞のように使われているので、誰でもある程度内容は知っていると思います。決して楽しい内容ではなく、むしろ気分が沈みそうな本なのでもらった本の中に混じっているのを見ても全然読む気はなかった。にも関わらず、先日チラッと冒頭を立ち読みしたところ(自宅で立ち読みと言うのも変ですが)あっという間に引き込まれ、いつの間にか完読していました。

人の心の中に存在する二つの顔。誰でも少なからず自分の中のジキルとハイドを感じているからこそ、この小説は恐ろしくまた興味深いのではないかと思います。

1886年に書かれたとありますが、時の試練を経ても読み継がれる名作だと思います。翻訳バージョンで読みましたが、原文とも比較してみたい気がします。原文自体がこのように古めかしく勿体ぶっているのか、または翻訳調の文体が一種独特の雰囲気をかもし出しているのか、日本語の文体にも独特の魅力がありました。

私としてはこの手の読み物は気分が滅入りそうで読みたくないと思う反面、抵抗しがたい魅力もあるようです。二重人格と言うと思い出すのは「24人のビリー・ミリガン」。三年ほど前に原文で426ページにも渡るペーパーバック "The minds of Billy Milligan" を読みました。実際に存在した多重人格者の記録です。その時の私のレビューには次のように書いてあります。

「これは実話で作者の Daniel Keys がビリー・ミリガンに何百回も面会を重ね、また多数の関係者と会い忠実に真実のみを記したものです。自分も含めて24人の人格が一人の人間の中に存在していて、一人一人の人格は性格も才能も知能指数も国籍や性別や年齢さえも違っている。1年ほど前だと思いますが、テレビでビリーを取り上げた番組を見たことがあり、異なる人格がスポットに現れ意識を持つ様子を映した実際のビデオを見ていて、なぜこういうことが起こるのか不思議でさらに興味を掻き立てられました。彼の場合子供のときに継父に虐待を受けたことで、もはや自分が自分でいたくなったということが大きなきっかけのようです。
 
これはかなりまれなケースだと思いますが、きっと人は誰でも自分の中に全く異なる自分、相反する要素や性格が存在するのではないかと思います。また、社会に適応していくため、自己防衛のために本来の自分ではない自分を作り上げていくものだと思います。
(中略) 
とにかく厚くて字が細かくて根性の要る本ですが、読むだけの価値はあります。常識では考えられないような話だけど、実話であるだけに迫力があり圧倒されます。人の心の不思議さ奥深さに驚嘆せずにはいられません。」

驚嘆というのは適切な言葉かどうかわかりませんが、圧倒されます。「ビリー・ミリガン」より「ジキルとハイド」の方が手軽に読め、楽しめるものになっています。読者を引き込ませるテクニックがあると思います。「ジキルとハイド」を読み終わった昨日の夜は、何だかこわい夢を見たようです。心理小説のジャンルに分けたいものですが、ホラー小説の類かも知れないですね。

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2007年11月19日 (月)

"something borrowed"

怒涛のような一週間をすごした後、今日はのんびりと一日を過ごしました。外は前日の好天とは打って変わった暴風雨。気温もぐっと下がりました。朝昼兼用のブランチを取り、暖かくして家に閉じこもり、カタログショッピングを楽しんだり本を読んだりして過ごしました。この際山積みの家事は見えないふり・・・

しばらく前から読んでいたペーパーバック、"something borrowed" を読み終わりました。主人公になりきりずいぶん切ない思いをしましたが、こんな小説でした。

主人公はニューヨークの法律事務所で働く30歳になったばかりの独身女性 Rachel。彼女 には子供の頃から親友 Darcy がいる。Darcy は美人でいつもハッピーで自分のほしいものは必ず手に入れる人生の勝ち組。 Rachel は Darcy と自分を比べてはいつも劣等感を持ち、自分の感情を抑え、欲しい物から逃げてしまう。そのRachel が Darcy のフィアンセと恋に落ちる。Darcy は美人だけど自己中でわがままでという設定になっている。最後は主人公の Rachel が親友のフィアンセとハッピーエンドになってめでたしめでたしということになる。主人公が初めて本当にほしいものを勇気を持って自分の手でつかむのだが、そのために親友を失った。何かを得るには何かを失わなくてはならない。

ハッピーエンドにはなっているけど、手放しでハッピーになれる終わり方ではなかった。相手の男も100パーセント良いとは思えなかった。友情と愛のどちらかを選ばなければならないとしたら、どうするか。永遠のテーマだけど、その愛が本物で友情も本物なら裏切るということではなく、もっと正直で誠実なやり方があるのではないかと思う。

読み終わって改めて思ったのは、やはり自分の魅力をよく知り、高い自己評価を持ち、ほしいものを積極的に手に入れ、幸せは自分の手でつかんでいく・・・そういう人がやっぱり魅力的なのではないでしょうか、ということです。

この小説の続編で Darcy が主人公になった "something blue"という小説があることを知りましたが、同じストーリーが違う立場で書かれているというのがおもしろい発想だと思います。いずれまた読んでみるかも知れません。

というわけで、しばらく楽しんだ小説もついに終わり、次のベッドサイドストーリーはどれにしようかなと楽しく迷っています。

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2007年9月29日 (土)

アマゾンでペーパーバック

先日 "The Door into Summer" を読み終えてから、次はどのペーパーバックを読もうかとまず自分の本棚を物色。読もうと思いつつ積読されている本が結構何冊もあるのです。

でも気分を変えて新しい本を見つけても良いかもと思い、久しぶりにアマゾンの洋書コーナーをチェックしました。アマゾンで買うと洋書が安く買えて良いんだけど困ることもあります。じかに手に取って見ることができないので、いざ届いてみると虫眼鏡が必要かもと思うほど字が細かくて分厚かったり、おもしろくなかったりすることがあります。また思いがけず英語が難解だったりで、読みたくなくなることも。

だからペーパーバックを選ぶのは結構難しいのです。今はカスタマーレビューがついているので大いに参考になりますが、勿論人によって意見が違います。また、まだカスタマーレビューが出ていないものがあると、ここに最初のレビューを書いてみませんかという文字に意欲を掻き立てられたりもします。アマゾンの思う壺ではないかという気もしないでもないですが、それで商品券をゲットしたことも何度かあります。

あれこれ楽しく悩みながら注文完了。10月2日には届くみたいです。今回はラブコメディのような小説を3冊ほど頼みました。10月2日が待ち遠しいです。

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2007年9月27日 (木)

"The Door into Summer"

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"Totto-chan" を読んだ後、その勢いでまた英語の本を読もうと思い本棚を物色していました。そして見つけたのがこの本です。(ロバート・A・ハインライン著)

15~20年くらい前に一度読んだ本ですが、おもしろかったという記憶はあるものの、内容はほとんど忘れてしまっているので、ポジティブに考えると一冊の本を「2度も楽しめてうれしい!」ってことになります。

最初の20~30ページは若干読むのが困難ですが、読み進むにつれ物語のおもしろさにはまります。特に後半部分はこの先どうなるかワクワクし、ページをめくるのが待ちきれません。

タイトル"The Door into Summer"「夏への扉」がかなり印象深く心に刻まれます。SF小説ですが、一大ロマンスです。後半の後半、胸がキュンとなり感動で泣けます。すてきな台詞もいっぱいあるんです。

最初の発行年は1957年。つまり書かれてから50年くらい経っているわけです。時代設定は1970年。主人公で発明家の Davis は cold sleep(冷凍睡眠)で30年眠り、2000年に目覚めます。

50年も前に2000年の世界を想像するのはどれほど困難なことでしょう。私が初めて読んだ20年程前から考えても、2007年の現在はSFの世界のようです。実際に「過去に遠い未来だった西暦2000年」、いやもっと進んだ2007年にこの本を読むと感慨深いものがあります。

☆21世紀には人は風邪を引かなくなっている・・・残念ながら現代の医学はそこまで進歩していません。

☆人間のように柔軟に動き、判断力を持つロボットが家事をしたり、会社で仕事をしている(そのようにプログラムし学習させます)・・・残念ながら皿を洗うという単純な作業も実はそれほど単純ではないのです。人間の動きほど奇跡的なものはないでしょう。そのレベルにはまだ現代の技術は到達していません。

しかし、まさかインターネットなるものが出現し、コンピュータが個人レベルで使われるようになることは全く想像の範囲を超えていたことでしょう。また、携帯電話の存在も。人間のように動くロボットが広く使われている一方で、電話は相変わらず固定電話を使ってます。ただお金のかわりにカードを使っています・・・この本の中の21世紀では。しかしカードを使うと言うアイディア自体がその当時としてはすごいことではないでしょうか。

そんなわけでストーリーのおもしろさに加えて、2007年に読むことでさらに興味深さは増します。もはやクラシックに分類されるSF小説ですが、決して古臭さを感じることなく充分に楽しめること間違いなし。

英語ができる方は英語で(最初の方だけクリアーできれば大丈夫)、そうでない方は訳本をお読み下さい。ぜひぜひ。

私の本はかなりの骨董物で今アマゾンを見たらこの表紙の本はなかったです。さあ、次は何を読もうかな?楽しみです。

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ところで、先ほど、"The Door Into Summer" のことについて書いた後、アマゾンを見に行ったら私の持っている本の表紙と同じものは見つからなかったのですが、「辞書のいらないルビ訳」というのが目に入りました。

それ、初耳なんですけど・・・と思い「中身拝見」のできる本で「ルビ訳」なるものを見てみると、ところどころ単語の下に文脈にぴったりの訳語(日本語)が載せてあるではありませんか!!

出版社を見ると「講談社」でした。なるほど・・・それならわかる。英語の学習に役に立ちそうです。世の中、どんどん親切になっているのですね。

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2007年9月 5日 (水)

Totto-chan The Little Girl at the Window

Tottochan


黒柳徹子著「窓際のトットちゃん」の英語版です。日本語版は多分20年~30年くらい昔に書かれており、発売当時は年間450万部のベストセラーだったと後書きに書かれています。

私は当時この本を日本語で読み、大変感銘を受けました。その後3,4年ほど前に英語翻訳版を見つけて買いましたが、長年埃をかぶって「つん読」状態だったのをふと思いついて今回読んでみました。家の中を探してみればオリジナルの日本語版もどこかにあるはずです。 戦前に実在した「トモエ学園」が舞台になっています。


いわさきちひろのふんわりした挿絵がこの本の雰囲気にぴったりマッチしています。

個性を伸ばす教育、考える力をつける教育、ゆとりある教育が求められながら、教育の現場では実践が難しい。ここには夢の教育があります.

黒柳徹子こと「トットちゃん」は小学1年生で退学になってしまいます。好奇心の強さから次々とトラブルを引き起こしてしまうからです。今で言うADHD(注意欠陥、過活動性、多動性障害)というものだったのではないかと思います。

例えば、小学校の机は引き出しのかわりにてっぺんのふたが開き勉強道具が入れられるようになっています。今の小学校ではもうそんな机はないようですが、私の子供の頃はそんな机だったと懐かしく思い出されます。(私、「一体いつから生きてるの?」と聞かれることもしばしばです。)

トットちゃんはその机が珍しく、ふたをバタン、バタンと開けたり閉めたりする。先生は「用事があるときだけ開けなさい」とおっしゃる。すると今度は「あ」を書く鉛筆を出すために開ける、「あ」を書き終わると今度は「い」の鉛筆、間違えるとその都度消しゴムを出し入れする、そうやってふたをパタン、パタンと開け閉めし、それに飽きると今度は教室の窓辺に立つ。

そして通りに「チンドン屋さん」がやって来るのを見つけると、「チンドン屋さ~ん」と大声でチンドン屋さんを呼び、学校中が大騒ぎになる。英語では "street musicans" 書かれていましたが、これも私の世代には懐かしいものです。本当に私がごくごく小さかった頃だけの記憶ですが、派手な衣装を着て派手な音楽でチンチンドンドンという音を出しながら店の宣伝などをして歩く「チンドン屋さん」がいたのを懐かしく思い出します。

話だけ聞けばほほえましくかわいらしいエピソードばかりだけれど、学校としては統率が取れずトットちゃんは確かに「問題児」だったことと思います。

退学になったトットちゃんが次に行った小学校が「トモエ学園」でした。トモエでは全てが前の学校と違っていました。生徒数は全校合わせてたった50人。勉強もその日やることだけは決まっていて課題が全部終われば自由時間。座席も決まってはいない。その日の課題が全員終われば、みんなで散歩に出かけたり、その中で子供達は自然の営みを学ぶ。

校長先生は初めて会った時、トットちゃんの話を4時間もの間、熱心に耳を傾けて聞きます。4時間もの間そうやって熱心に聴き続けられる大人(ならずとも子供でも)はどれほどいるでしょう?また、4時間もしゃべり続けるトットちゃんも驚異的です。

校長先生はどの子に対してもそうやって真剣に向き合うのです。「トモエ学園」はこの学校を作った小林校長の夢の学校でした。自由であること、偏見がないこと、個性を伸ばすこと、自主性を伸ばすこと、生徒を信頼し自信を持たせること。

校長先生はいつもトットちゃんに「君は本当にいい子なんだよ」と言い続け、トットちゃんは無邪気に「はい、私はいい子です」と答えた。この言葉がおそらく彼女の人生を決定するものだったのです。

後書きで黒柳徹子さんが言っている通り、もし小林校長に会うことがなかったら、トットちゃんは「悪い子」のレッテルを貼られコンプレックスでいっぱいの大人になっていたでしょう。それと同時にトットちゃんのご両親のトットちゃんへの接し方もすばらしいものだと思いました。

校長先生の小林宗作氏は理想の教育を実現するために何年もヨーロッパで教育現場を見て研究を重ね、1937年にトモエ学園を設立しついに夢の学校を建てました。しかし1945年の東京空襲で全て焼け落ちてしまいます。炎に包まれる学校を見ながら彼はそばに呆然と立ち尽くす息子「ともえ」に言う、「今度はどんな学校を建てようか?」と。彼の教育への情熱は燃えさかる炎より強かったのです。

小林宗作氏の理念は今も古びていないどころか、今まさに求められているものだと思います。全ての教育者、全ての親達、全ての人に読んでもらいたい本です。子供にとっても素適な読み物になることでしょう。

ちなみに彼は日本にリトミックを導入した人であり、現在の国立音楽大学、幼稚園の設立に助力をした人でもあるそうです。また同じくトモエ出身でトットちゃんの初恋の人「タイちゃん」は著名な物理学者として活躍しているそうです。(20年か30年前の話ですが。)

英語版は Dorothy Britton さんの訳で大変美しい英語になっています。やさしい英語で書かれているので、比較的読みやすいのではないかと思います。

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