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3.英語の本(原書)

2013年4月 6日 (土)

アリスの朗読・原書を無料で Free audiobooks and ebooks

1ac
画像はオハイオ大学から http://www.wiredforbooks.org/


「不思議の国のアリス」の英語を無料で楽しめるサイトです。他にもたくさんあると思います。

☆アリスリスニング 
オハイオ大学が提供しています。他にもありますが、これが一番好き。iPodやウォークマンなどで聞くことができます。
http://www.wiredforbooks.org/alice/chapter1.htm

☆作者本人によるイラスト付き オンラインテキスト
WITH THIRTY-SEVEN ILLUSTRATIONS BY THE AUTHOR
http://www.gutenberg.org/files/19002/19002-h/19002-h.htm#Chapter_I

☆テキストとテニエルの挿絵
http://www.cs.cmu.edu/~rgs/alice-table.html

☆7人プラス二人のイラストレーター付き オンラインテキスト
The identified works of nine historical artists and two contemporary artists are featured.
http://www.the-office.com/bedtime-story/classics-alice-1.htm

不思議な国のアリスその2 Alice's Adventures in Wonderland No.2

Alicemouse_2

「不思議の国のアリス」は純粋でどんな常識にもとらわれることのない自由で想像力豊かな子供の心で楽しみたい、と昨日書いたばかりの私。

しかし、作者のルイス・キャロルは数学者でもあり、最も論理的な思考を持っているはずだとも思います。大人の私はやはり、この一見でたらめに見える世界にも何らかの論理があるに違いないとも思ってしまうのです。だからこそ「アリスの謎解き」の類の研究本が山ほどあるのでしょう。大人として読んだときにはもう一つ別の楽しみ方もあると思います。

また、アリスの世界は言葉遊び(しゃれ)に満ちていて、日本語に翻訳するのが無理なものが多々あります。だからこそ英語で読む醍醐味があります。

その一つの例がアリスがネズミに、「どうしてネコが嫌いになったか」を聞き、ネズミが答える場面。それについては以前のブログに書いているのですが、その場面はアリスの頭の中では上の写真のように聞こえていました。

文字がネズミの尻尾に見えますね。このネズミのお話し自体は支離滅裂なもの。しかし、ここで頭を悩ませないのが得策。だって、アリスもこの挿絵のような想像をしながらぼんやりと聞いていて、「聞いてないな!」とネズミに怒られるのですから。

すでに著作権の切れている本なので、iBook やオンラインで無料でダウンロードすることもできます。私はiPadにもダウンロードしてあるのでいつでも見ることができます。また、オーディオブックもウォークマン等に入れて何度も聞きました。以前にも紹介しましたが、音響効果もすばらしく何度聞いても飽きません。オーディオブックはこちらから

Yesterday I wrote that I want to enjoy "Alice's Adventures in Wonderland" with an innocent child's heart free from common sense or any restrictions.

But the author was a mathematician as well. I think he must have been a man of logical thinking. As an adult reader, I can't help thinking there must be some logic there. That's why there are a lot of books on Alice's "riddles" out there.

The story is full of wordplay and in many cases it is next to impossible to translate into Japanese. There lies the greatest pleasure to read it in original English.

One example is the scene where Alice asks the Mouth why he hates cats and dogs. The below is a brief extract from the book.

"Mine is a long and a sad tale!".....
"It is a long tail, certainly,"said Alice, looking down with wonder at the Mouse's tail......
... ."but why do you call it sad?" and she went on puzzling about this as the mouse went on speaking, so that her idea of the tale was something like this:.....

The picture shown above is the copy from the book. The Mouse's story doesn't make any sense, but you don't have to rack your brain trying to make out what it means. For Alice is also scolded by the Mouse like this; "You are not attending!"

This story is in the public domain, so you can download the story all free. I myself have an e-book version of it and in addition to it, I listen to the audio book, which is also free. This one is my favorite, It comes with nice sound effects and music.

2013年4月 5日 (金)

不思議の国のアリスその1 Alice's Adventure in Wonderland No.1

Alice Alice2 Alicepopup

フェイスブックで「不思議の国のアリス」のドードーの場面のイラストがアップされていたので、なつかしくて、本棚から大昔に買った原書を出してみました。子供の頃読んだのは、勿論日本語で、それも子供向けの易しいバージョンだったのだと思いますが、今もそのときのワクワク感は忘れられません。

何という支離滅裂、何とでたらめで楽しい世界!しかし大人になって原書を買ってみたら、難しくてがっかりした思い出があります。それは25年も前、大昔の話です。当時は自分の英語力の不足のせいだと思いました。

後のブログには次のように書いてあります。「いや、そういうわけでもなかったのでしょう。今考えると大人向けの読み物でもアリスよりずっと易しいものはいくらでもあるし、新聞記事などはもっと楽に読めるのです。」と。

しかし今思うと、それも違うように思います。どんな常識にもとらわれない自由な心と豊かな想像力を持った子供だからこそ深く考えることなくこの支離滅裂な世界をすんなり受け入れられ楽しめたのではないかと思います。大人になった私は理性と常識が邪魔をして、この突拍子もない世界が受け入れにくくなっていたのかもしれないのです。

ここにある本は全部大人になってから買いました。一番古いのは何十年も前のもの。全部黄土色に変色しています。飛び出す絵本は9年前にアマゾンで買ったもの。原書が二冊あるのは昔のをなくしたものと思って、5年前(2008年8月)に買いました。

挿絵はテニエルのものが一番有名かも知れませんが、原作者の挿絵もなかなか味があると思います。「アリスの英語」の表紙にあるのが原作者の挿絵です。
支離滅裂で奇想天外なこの世界は、どんな常識にもとらわれない自由な子供の心で読みたい。

I found a picture from "Alice's Adventures in Wonderland" yesterday on the facebook page of my friend, feeling so nostalgic. I searched my house for my old copies and found them. I think the one I read as a child was an easy version for kids, and that, the translated version, but I never forget the excitement when I first read it.

What a wonderful and nonsense world! Some decades later, as an adult, I bought the original English version, only to be disappointed to find it so difficult for me back then. I thought it was because my English reading comprehension was not good enough. But later I came to think it might not be. For there are actually a lot of English novels for adults that I can read with ease. News articles are much easier.

But now I think I may have been wrong. The truth is as a child, I was free from any restrictions and didn't judge any thing by any common sense. The logical thinking just prevented me from enjoying it without thinking. Now that I realize that, I make my mind free and just have fun.

I bought all the books shown above as an adult. The oldest one was probably almost 25 years old or older, I'm not sure. The pop-up book is 9 years old. I like Tenniel's illustrations, but the illustrations drawn by the author himself are also appealing.

2009年10月25日 (日)

"The Memory Keeper's Daughter"その2

作者がこの本の後書きに書いているのですが、この作品は教会の牧師から聞いた話がヒントとなって書かれたものです。

しかし、作者は牧師から話を聞いてもすぐには書き始められなかったそうです。何年も経って初めて第1章がふいに湧き上がりました。第1章を書き終えた時、これらの人たちがどうなっていくのか、何が起こるのかを知りたいという気持ちが強くなり、それがわかるまで書くのを止められなかったのだそうです。作者は天の声を聞いていたのでしょうか。

物語の後半部分で、デビッドは何年もの間戻ることのなかった自分の生家に戻り、そこでローズマリーと言う女性に遭遇します。彼女は "scherenschnitte"と言う美しく繊細なスイスの切り絵細工で家の中をいっぱいにしていました。一枚の紙から巧みにさまざまなシーンを作り出していく。デビッドがどこからアイディアが生まれるのかと聞くのに対し、ローズマリーは
"It's in the paper. I don't invent them so much as find them." と答えている。
つまり作品はすでに紙の中にあり彼女はそれを発見するだけだと言うのです。下絵も構想も何もなしで、いきなり切り始めるのです。

この"The Memory Keeper's Daughter"と言う小説も同じようにして生まれたのでしょう。真の芸術というのは文学であれ音楽であれ絵画であれ何であれ、そういうものなのかも知れません。そう言えば優れた仏師は木の中に仏が見え、仏が出してくれと言うのを堀り出すだけだと聞きました。そこに神の存在を感じずにはいられません。(多くの日本人と同様に信仰心はあまりないのですが、真の芸術に触れる時など時として神の存在を感じずにいられない瞬間があるのです。)

芸術は神からのメッセージではないかと思うことがよくあります。天才という媒体を借りて自らの存在を知らしめているのではないかと思うのです。芸術に対し、畏敬の念を禁じえません。

2009年10月24日 (土)

"The Memory Keeper's Daughter"その1

Memory_2

"The Memory Keeper's Daughter" by Kim Edwards
出版社 Penguin
401ページ

この本は二年ほど前に一度読んでいます。ちょうどペーパーバックになったばかりで、それを機にアメリカで大ヒットした作品としてラジオ英会話のテキストの後ろで紹介されていたのを見て読みました。

前回読んだ時は、早く先を読みたくて筋を追うような読み方だったので、今度はゆっくり味わいながら読みたいと思いました。ストーリーもおもしろいのですが、文学の香り高い作品です。言葉が美しく響き、音楽を聴くようです。あらすじは次のようなものです。

1964年3月、ある吹雪の夜だった。初めての子供の誕生を心待ちにする整形外科医のDavid とその妻ノラ。予定日よりはるかに早いこの吹雪の夜に、突然妻の陣痛が始まります。雪のため産科医は来れなくなり、デビッド は看護婦のキャロラインと二人で赤ん坊を取り上げることになる。

ノラは無事に男の子を出産した。しかし、思いがけないことに、その後続けて女の子が生まれたが、一目でダウン症とわかる症状を呈していた。とっさの判断でDavid はキャロラインにその女の子を渡し、施設に連れて行くようにと頼む。そして妻には二人目の子供は死産であったと告げる。

それはディビッドが愛する妻を守ろうとしてとっさに下した判断だった。しかしこの一瞬の判断はその後のすべてを永久に変えてしまうものだった。

彼の判断の背景にあったものは、12歳でこの世を去った先天性心臓病の妹と、彼の貧しい生い立ちだった。貧しさゆえに彼らの生活は悲惨なものであり、彼の母親は妹の死後も悲しみから立ち直ることができなかった。だから、彼はどんな代償を払ってもノラを守りたかったのだ。

家を出る時、ノラは「この家に帰ってくる時は、赤ちゃんといっしょね。私たちの世界は今までとは決して同じでなくなるわね。」と言うのだけど、それがまさしく未来を暗示していたようです。

原文はこれです。この言葉が何度か繰り返し使われています。"Our world will never be the same."象徴的な言葉です。

キャロラインは密かにデビッドに思いを寄せていた。施設に入れると彼が言ったことにショックを受けたが、言われた施設に連れて行く。しかし置いてくることができず、そのまま連れて帰り自分の子として育てる決心をし、この町を去る。この時から二つの家族は全く別の場所で、別々の人生を送ることになるのだった。

デビッドは妻や息子を失うことを恐れて生涯、彼らに真実を告げることができなかった。最終章は1989年9月1日。この小説の中で、25年の歳月が流れていきます。

この重すぎる秘密は日々家族の中に根を下ろし、やがてデビッドとノラ、そして息子ポールとの間を隔てる大きな壁となってしまう。ノラとポールを苦しみから守ろうとしてやったことが、もっと多くの苦しみを生み出すことになってしまったのだ。

タイトルとなっているメモリーキーパーというのはカメラのことです。直訳すれば「記憶を保つもの」。結婚記念日にノラがデビッドに贈ったものだったが、彼はやがて取り憑かれたように写真を撮るようになります。一瞬をその場に捉え永遠のものにしようとするかのように、過去を、時の流れを止めようするかのように撮り続けるのだった。

ダウン症の子供を育てることはあらゆる意味で戦いを意味します。長くは生きられないというデビッドの診断を裏切り、娘フィービーは生き延びた。純真でくったくのない愛にあふれた女の子に成長します。苦悩と同時に愛と喜びをキャロラインに与えてくれるのです。果たして生きる価値のある人生とは何を意味するのでしょう。

ダウン症の彼女にとっては世の中は不公平な場所だ。しかし思い煩うことをせず、この世は「どんなことだって起こりうる」素晴らしくもあり独特の場所だとして、すべてをそのままに受け入れている。

デビッドの死後、ついに真実がわかり、怒りと苦悩の末ノラの出した結論は、現実をそのまま受け入れることだった。彼を許す。少なくとも許そうとする。そして「私たちには選択肢がある。恨みを抱き憎み、怒りを抱いたままで生きるか、それとも気持ちを切り替え先に進むかだ。」と言う。

原文ではこうなっています。

"But you and I and Phebe, we have a choice. To be bitter and angry, or to try to move on. It's the hardest thing for me, letting go of all that righteous anger. I'm still struggling. But that's what I want to do."

強いメッセージが伝わってきます。

1960年代は今とは事情がずいぶんと違っていたとは思いますが、ダウン症に対する偏見は今もまだ根強くあるのではないかと思います。ダウン症は英語では "Down Syndrome" ですが、最初にデビッドが娘を見た時に使われた言葉は "Mongoloid" でした。辞書によれば1番目の意味は「モンゴル人種」で2番目の意味が「ダウン症患者」です。この言葉が使われたのは最初の1回だけだったと思うのですが、驚きました。多分今は差別語として使われなくなっているのではないかと思います。

この小説は作者が教会の牧師から聞いた実話をヒントに書いたものだそうです。今聞けばショッキングな話ですが、時代は1964年であり、ダウン症の子供を施設に入れると言うのは当時は普通に行なわれていることだったのです。これに似たような話は私も聞いたことがあります。

ストーリーのおもしろさにぐいぐいひきつけられます。400ページ余りの作品で、英語が易しいというわけにはいきませんが、すばらしい文学作品です。日本語の翻訳版もすでに出ています。

2009年9月10日 (木)

神がドアを閉めるとき

The Shop on Blossom Streetより

以前に読んだペーパーバックからです。(クリックで以前のレビューに飛びます。)

apple
The old proverb was right: God never closes a door without opening a window.
「神はドアを閉めるときには必ず窓を開ける。」


どんな状況でも必ず一筋の希望が残されているということだと思います。もしかしたらその窓は全開であなたが外に飛び出すのを待っているかもしれません。

世の中、全然思い通りに行かない。「自分はついている」と思っている人が成功する人だと聞いたことがあるけど、思い通りに行かないことが多すぎる。でも「神は必ず窓を開けてくれている」と信じたい。そしてその窓を見つけたい・・・・と思う今日この頃。

2009年9月 1日 (火)

段取りは大切

再びペーパーバック"FROM THE MIXED-UP FILES OF MRS. BASIL E. FRANKWEILER"の中から。まだこのネタを引きずっています(;´▽`A``

apple
Five minutes of planning are worth fifteen minutes of just looking.
(拙訳:5分間の計画は、やみくもに15分間捜すことに匹敵するのよ。)


フランクワイラー夫人の膨大なファイルの中の一つに "Angel"の秘密が隠されている。そのファイルから秘密を探し出すのに与えられた時間は1時間。早速ファイルの入った引き出しに飛びついていったジェイミーにクロディアが叫びます。"STOP!""と。

上記の文はその後続けてクローディアが言った言葉です。

何事にも段取りって大切なんですよね。紙に書くと有効だと聞いてやってみたこともあります。時間がないと嘆く前に計画を立て物事に取り掛かればもっと時間の使い方が上手くなると思うんですけど、それがなかなかできずにいる私です。要領が悪いんです。なくし物を捜す時もやたらに捜しまわるより、立ち止まって自分の行動を順を追って考え直してみる方が早い場合があります。

2009年8月29日 (土)

Been there, done that.

再びペーパーバック"FROM THE MIXED-UP FILES OF MRS. BASIL E. FRANKWEILER"の中から.

apple
Some people spend all their time on a vacation taking pictures so that when they get home they can show their friends evidence that they had a good time. They don't pause to let the vacation enter inside of them and take that home.
(拙訳:休暇に出かけて、ずっと写真撮ってばかりいる人たちがいる。うちに帰ってから楽しかったという証拠を友達に見せるためにね。そういう人たちは立ち止まって休暇を自分の心にしみこませようとしようとしないのです。)

*:.。.:*:.。.:*:.。.:*:.。.:*:.。.:*:.。.:*:.。.:*

あらら、これって私のこと?でも、人の記憶がどれほど当てにならないものかも私は知っているのです。写真に残すことで記憶が新たによみがえり、永久に心にとどまると思うからです。フランクワイラー夫人が言いたかったのは、自分が見たものを心の目で感じて自分のものとせよということでしょうね。

本文では次のように書かれています。

"The adventure is over. Everything gets over, and nothing is ever enough. Except the part you carry with you. It's the same as going on a vacation. Some people spend all their time on a vacation taking pictures so that when they get home they can show their friends evidence that they had a good time. They don't pause to let the vacation enter inside of them and take that home."

(拙訳:冒険は終わったの。何にでも終わりがある。そしてこれで充分てことはないの。自分が持ち歩けるものは別としてね。それは休暇に行くのと同じこと。休暇に出かけても、ずっと写真撮ってばかりいる人たちがいる。うちに帰ってから、楽しかったという証拠を友達に見せるためにね。そういう人たちは立ち止まって休暇を自分の心にしみこませようとしないの。)

*:.。.:*:.。.:*:.。.:*:.。.:*:.。.:*:.。.:*:.。.:*

英語の表現で "Been there, done that." というのがあります。「そこも行った、それもした。」ってことですが、旅行に行った人がそう言って自慢することを揶揄した言葉です。"Been There Done That Got the T-Shirt"とさらにエスカレートした表現もあるようです。さらにその証拠にTシャツまで買ったってことでしょうか。

"Been there, done that."には他に、「私も同じことを経験した。だからあなたの気持ちがよくわかります。」といった場面でも使うことができます。同じ言葉でも状況により意味が変わってくるのですね。

2009年8月28日 (金)

おだては世界を動かす

最後に読んだペーパーバック"FROM THE MIXED-UP FILES OF MRS. BASIL E. FRANKWEILER"の中から.

apple
Flattery is as important a machine as the lever, isn't it, Saxonberg? Give it a proper place to rest, and it can move the world.

(拙訳:おだてというものはてこと同じくらい大切な道具ですよ、サクソンバーグさん。適切な場所に当てれば、世界を動かすことができますよ。) 

*:.。.:*:.。.:*:.。.:*:.。.:*:.。.:*:.。.:*:.。.:*

家出の相棒としてクローディアは下から2番目の弟のジェイミーを選びます。クローディアに話があると呼びつけられたジェイミーは不満たっぷり。本文中ではこんな風に書かれています。

"Why pick on me? Why not pick on Steve?" he asked.

Claudia sighed, "I don't want Steve. Steve is one of the things in my life that I'm running away from. I want you."

Despite himself, Jamie felt flattered. (Flattery is as important a machine as the lever, isn't it, Saxonberg? give it a proper place to rest, and it can move the world.) It moved Jamie. He stopped thinking, "Why pick on me?" and started thinking, "I am chosen."

(拙訳:「どうして僕なの?何でスチーヴにしなかったの?」と彼は尋ねた。
クローディアはため息をついた。「スチーブは要らないの。スチーヴは私が逃げ出したいものの一つなの。あなたがいいの。」
ジェイミーは我知らず、気分をよくした。(おだてというものはてこと同じくらい大切な道具ですよ、サクソンバーグさん。適切な場所に当てがえば、世界を動かすことができますよ。)それはジェイミーを動かした。彼は「何で僕を?」と思わなくなり、「僕が選ばれたんだ」と思い始めた。)

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なかなかうまいですね。豚もおだてりゃ木に登る。おだては世の中を動かす!!

2009年8月27日 (木)

"From the Mixed-up Files of Mrs. Basil E. Frankweiler"

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"From the Mixed-up Files of Mrs. Basil E. Frankweiler"
by e.l.konigsburg
出版社 ALADDIN
162ページ

前回の "The Soloist" とは180度転換、少し息抜きをしようと再び児童文学に戻ってきました。タイトルは長くて複雑そうですが日本語に直訳すれば「ベイゼル・フランクワイラー夫人のごちゃごちゃファイルから」とでもなるでしょうか。

クローディアはもうすぐ12歳になる女の子。4人兄弟で一番上の女の子だからという理由だけで、自分だけ不公平な扱いを受けたり、友達と比べてお小遣いが少なかったりすることに怒っています。単調で同じことの繰り返しの毎日や、ただのオール5のクローディア(straight A's Claudia Kincaid)でいることからも逃れたくなって、家出をしようと計画を立てます。

都会育ちで不愉快なことや汚いこと、つらいことが嫌いな彼女が決めた家出の先はニューヨークメトロポリタン美術館。彼女が選んだ家出の仲間は下から2番目9歳の弟ジェイミー。メトロポリタン美術館で16世紀の優雅なベッドに1週間も寝泊りした子供、いや大人だって、世界広しと言えどこの二人だけでしょう。(でも清潔好きのクローディアはこの優雅でロマンチックなベッドがかび臭くて、洗剤で全部洗ってしまいたい衝動に駆られるのです。)

頭がよくておませな姉と、(子供にしては)お金持ちでしまり屋でユーモアもある弟のコンビが絶妙で、二人の会話がかわいらしくなかなか笑わせてくれます。どうやって美術館の職員やら夜警やらに見つからず、朝夕の開館時、閉館時をやり過ごすかというところもハラハラさせられます。

思いがけず美術館でなぜかクローディアが心を奪われた「天使の像」(Angle) の謎解きを始めるところから、クローディアにとってこの家出にどんな意味があるかが、はっきりとした輪郭を現し始めます。

冒頭は本のタイトルに名前の出てきたフランクワイラー夫人の1ページ分の手紙から始まりますが、その後の物語との関係が最初はよくわからず、ずっと謎だったのですが、最後の方になってやっとつながり、思いがけない展開となっていきます。クローディアの賢さ、まじめさ、純粋さ、感性の豊かさに心を動かされます。

160ページ程度で長さも程よく、子供の心を持った大人を満足させてくれる作品だと思います。初版は1967年ですが、今回私が買った本には35周年を記念して作者による後書きがついています。この後書きは本文以上に私の興味を引きました。ニューヨークもメトロポリタン美術館も35年の間に様変わりしました。

2001年9月11日以後、人々の心や意識は変わり物価も変わりました。ただトレードセンターツインタワーが完成したのはこの本が書かれて6年後のことなので、悲しいかな当時の街の地平線は今と変わりません。5番街のオルベッテイーの店の外のスタンドには、クローディアが手紙を書くのに使ったタイプライターは今ではありません。(オルベッティーのタイプライターと言うだけで私には懐かしい響きがあります。オルベッティーではありませんが骨董品のタイプライターを私は今も所蔵しています。)また二人が"Angle" の謎を調べるために行った53番通りの図書館で使ったカード目録ももうありません。

メトロポリタン美術館はどんどん大きくなり、5番外の正面入り口も一新されました。当時は無料だった入場料が今は違います。メトロポリタンで二人が眠ったあのベッドはなくなりました。二人がお祈りをした小さなチャペルは閉鎖されました・・・などなど、興味深く読みました。

ところで余談ですが、私は4年ほど前、ニューヨークに行った時メトロポリタン美術館を訪れています。入場料は確かにありますが、実のところは suggest (提案)されているもので、自分の懐具合にあわせて払うことができるのです。ニューヨークに住んでいた友人はいつも1ドルくらいで入っていたみたいです。メトロポリタン美術館は本当に巨大です。そしてニューヨークもひたすら巨大でした。